原子力って大丈夫?

公開済み 3月 10, 2013 by 管理人 in アドナイ・エレ

~「原発と共に歩んだ結果」~

福島原子力発電所の事故から2年が経とうとしています。未だに除染が進まず、放射性物質によって汚染された土や汚染水、使われた防具服などを保管する中間処理施設や最終処分場は住民の反対で、未だに場所の決定ができずにいます。

日本は第2次世界大戦で、長崎と広島に原子(核)爆弾を落とされた、世界で唯一の被爆国です。それゆえ、日本人の中には原子力、つまり核に対するアレルギーが他の国以上にあったのは当然のことと思います。

しかしその後、原子力(核)に対する恐れの心を変える一つのフレーズが盛んに流されるようになりました。それが「核の平和利用」という言葉です。その言葉によって日本各地に原子力発電所が次々に建てられました。

私も先の福島第1原子力発電所の事故が起きるまでは、その言葉にいささかの疑いも持ちませんでした。悪名高い原子力を平和のために利用する人間の素晴らしい知恵だと思っていました。しかし、あの恐ろしい原発事故のさなかに現地の様子を伝えた映像に映し出された、町の様子を見て、核って基本的にはやっぱり、人間が確実には管理することのできない怖いものなんだなと思いました。

先日の新聞には放射性物質による汚染によって、町の大半が帰宅困難地域とされている福島県双葉町の中心街に掲げられた看板のことが書かれていました。そこには、「原子力、正しい理解で豊かな暮らし」、その裏側には「原子力、明るい未来のエネルギー」と書かれていたというのです。住民の未来の幸せと繁栄がそこには高らかに謳われていました。

この標語に多くの人が未来への明るい希望を託したことでしょう。しかし、今帰宅困難地域となり、だれも住むことができなくなった廃墟と化した街を見るときに、あの標語は果たして明るい未来を正しく示していたのだろうかと疑問に感じます。

象徴的な出来事として、あの未来の希望を伝えた看板の横に、そこの住民であった人が書かれたであろう「原発と共に歩んだ結果」という紙が貼られてあったと新聞に書いてありました。

勿論、大地震や大津波が来なかったら、こういうことはなかったでしょう。これは偶々起きた事故でこういうことはそう頻繁には起きることではないことだと思いたいです。しかし、原発が人間の能力では完全には管理することができない代物であることは判明しました。

三男が小学1年生の時、冬休みを前にして担任の先生が、「皆さん。お正月にはお子さんにお年玉をあげられることと思います。今、学校で子供たちには2桁までの計算しか教えていません。ですから、彼らの管理できる範囲の2桁までのお年玉をあげるようにして下さい。」と言われました。なるほど、子供の管理能力以上の物を与えても、かえって害になるということだなと思います。小さい子供に毒薬を持たしたり、ピストルを握らせたりしてはならないというのと一緒のことだなと思います。

ただ、悩ましいことに原子炉を止めたからといって、すぐ安全になるというものでもありません。福島原子力発電所も廃炉するのに30年以上かかるとみられています。日本中に造られている原子力発電所を廃炉にするのには莫大なお金と時間が必要です。

そして、原発によってできたプルトニュウムや劣化ウランという危険極まりないものは、ただ地中深く埋めてしまうしかありません。地震大国日本に住んでいて危惧されることが沢山あります。

また、聖書に先日ロシアで起きた隕石事故や大地震が将来起きると預言されていることも大きな懸念材料です。

すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。黙示16:18

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。マタイ24:29

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