良いリーダーに従え
~「助さん・格さん、懲らしめてやりなさい。」~
日本のテレビ番組で、根強い人気を誇っているのに「水戸黄門」があります。再放送が何度もされているのに、常に高視聴率を保っているそうです。私の母も 認知症になる前は、毎日放映される時間を楽しみにしていました。
しかし、ストーリーはいつも一緒で、悪代官がいて、悪い豪商と結託して、金儲けをたくらみ、町の人々を苦しめます。そのような処に水戸黄門がちりめん問屋の 隠居という触込みで入り、悪代官の悪事を暴きます。悪代官は自分の手下の者を使って水戸黄門たちを抹殺しようとするのです。
それに対して、水戸黄門は「助さん・格さん、彼らを懲らしめてやりなさい。」と言って、戦い、そして悪代官の配下の者たちが助さん・格さんにやられていきます。 しばらくすると、黄門様が、「もう良いでしょう」と言うと、「静まれ、静まれ、ここにおわすお方をどなたと心得る。先の副将軍、水戸の光圀公にあらせられるぞ」と 身分を明かし、悪代官以下皆の者が「はは~」と言って黄門様の前にひれ伏すというお決まりのお話です。
毎回同じ展開なのに、どうして皆好んで観るのでしょう。多分、悪人が裁かれ、苦しめられていた人々が解放されるところが、視聴者の日頃のうっぷんを晴らし、 良い気持ちにさせてくれるからでしょう。
それにしても、悪代官に仕えていて、助さん・格さんに懲らしめられる人々は、特に悪いことはしていないのに、ただリーダーが悪いばっかりに、悪の仲間として やっつけられてしまいます。彼らを見ると可哀想だなと思います。
これを見ていると、落語家として初めての人間国宝に認定された5代目柳家子さん師匠のことを思い出します。彼は若い時、歩兵第3連隊に入隊しました。しかし、 彼が入ったその部隊が二・二六事件の決起部隊になるのです。彼は何にも知らず、ただ上官の命令によって駆り出され、気付いたら反乱部隊の一員にされていました。 そのことによって、彼の青年時代は反乱者の汚名を着せられ辛酸をなめることになるのです。
私たちは、どのリーダーに仕えるかで全然違った道を歩むことになってしまいます。人生で良きリーダーを選ぶことはとても重要なことです。以下の聖句はダビデ王が 主なる神様を信頼し、従ったことによる恵みを伝えています。
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私の たましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともに おられますから。詩編23:1~4a
また、上に立つ人が正しい判断ができるように、祈り支えることも大切になります。例えば、国のリーダーの政治家の方々や、社会のリーダーである地域の長、 また会社のリーダーの社長などのためにとりなす責任が私たちにあります。不平不満ばかり言っていても、何にも解決になりません。
そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、 とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの 救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。Ⅰテモテ2:1~3
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