フィリピン研修Ⅵ
~童心に帰って水渡り~
フィリピン研修報告をクリスマスと年末年始とで2週間のお休みを頂きましたが、今週から再開させて戴きたいと思います。
さて、前回はミンドロ島の港街カラパンに着き、そこから島の山間部のサンアンドレスに向かう道中、急流を小さな渡し船で渡ったことを書かせて戴いたところで終わりました。
次に私たちは渡し船を降り、荷物を川岸で待っていた牛車に載せ、歩き始めました。約30分ほど歩くと、サンアンドレスの公民館に到着しました。そこで、皆ジーンズを短パンに穿き換え、靴をサンダルに履き替えて、山上を目指して歩き始めました。
しばらく歩くと、川にぶつかりました。川幅は先ほど木船で渡った川とおなじぐらいでしたが、流れは少し緩やかで水深はさほど深くなかったので、膝位まで浸かって歩いて渡りました。
何か童心に帰って水遊びをしているような感じで、透き通った清流の中をジャブジャブ楽しみながら渡りました。「あ~、短パンとサンダルを準備して来るようにと言われたのはこの時のためだったんだな」と納得できました。
しかし、今は雨季でまた大雨が降った後だということで、川渡りはこれだけではすみませんでした。都合7,8回渡りました。その中には流れが速くて、渡るのに躊躇する様な所も数か所ありました。
国際飢餓対策機構の働き掛けで、山の上の集落に学校が出来るまでは、子供たちはここを渡ってサンアンドレスの小学校まで歩いて通っていたという事でしたので、遠いだけでなく、危険なところが沢山ある中を子供たちが学校へ通わなくて良くなったので良かったなと思いました。
川を越え、森を超えて遂にマンヤンの集落に着きました。集落に建つ家々は日本各地の遺跡を見ている様で、藁ぶき屋根に板壁、高床式で、細長い丸太で四方八方から倒れないように支えられていました。
日本で見た遺跡は藁ぶきの屋根も綺麗に揃えられて、美しくさえ見えましたが、ここのそれはただ積み重ねられたもので、中には端も切り揃えられていないで、屋根から垂れさがっている物もありました。
それを見ながら、日本の弥生時代の家々も遺跡のように整然ときれいに整えられたものではなく、このような雑然としたものだったのではないだろうか。いや待てよ、日本人は細やかで綺麗好きだから、やっぱりきれいに整えられていたのかもしれないな、などと考えていました。
また、一面が草むらでブタやニワトリがそこらを歩きまわっていて、道らしきものはなかったのですが、人一人通れるような人が通った後があり、そこを歩きました。ここでは車やオートバイはおろか、自転車もなくただ交通手段は牛車だけでした。
フィリピンでも都会のマニラからバタンガスの方は高速道路が走り、またミンダナオ島でも都会ダバオの近くの道路は4車線化の拡幅工事が進んでいました。聞くと、もうすぐ選挙があるからそれの票集めの為だよと地元に住んでいる人が冷ややかに言っていました。
しかし、この山奥の小さな集落は見捨てられているように思えるのは人が少ないからか、また文字が書けないので票にならないからなのか、小学校建設までも外国の人の働きや支援によってしか勧められないのかと少し悲しくなりました。
クリスチャン国でもこのようなのですから、選挙制度の問題点を見たような気がしました。私たちは、目先のことだけではなく、神に喜ばれることが何かを見て歩む者になっていきたいと思いました。
この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。Ⅰテモテ6:17~19
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