貧しさゆえの幸せ
〜「からいも育ち」〜
近くにお住まいのH先生の絵手紙第4集「道」に深く感動したことを先生に伝えると、先生はもう余り手持ちがないであろう貴重な絵手紙第3集「音」をも持って来て、プレゼントして下さいました。
早速、喜んで読ませて戴きました。今回は戦時中に青年期を迎えられた先生の体験をもとにしたものが多く、戦後生まれの私達には想像もつかないような悲惨な状況と食糧難の中にあっても心豊かに生きておられる様子が描かれてありました。
その一つは「からいも育ち」というもので、敗戦後の未曾有の食糧難を、先生御家族がからいも<サツマイモ>を食べてのりきることができたお話でした。
《毎年お盆の前日は待ちかねたように新芋を掘りに行った。芋はまだまだ大きくはなっていなかったが、大きいようなものを探って掘って持って帰り、ふかしてみんなで食べた。
それはほくほくと香り高く、何とも言えない幸せな気分になるのであった。「おいしいね、おいしいね」と言いながら、私たちは皮ごとみんな食べた。
その味は80歳になった今も忘れることはない。お腹をすかせてありがたくいただくものは、何であってもおいしいと私は思う》(一部抜粋)と綴っておられました。
私が勤めていた会社を辞めて、牧師に献身した当初は貧しい生活を強いられました。お米さえ満足に買えなかったので、毎食おかゆにして家族で食べていました。子供たちは如何にして少ないお米でお腹いっぱい食べられるかを研究しながらおかゆを作る加勢をしていました。
そのような生活が4年ぐらい続きましたが誰もそれに不満を言うこともなく、また不幸に感じたこともなく、その中で幸せを感じて生活していました。
やがてその極貧の中を通った子供たちも奨学金やアルバイトをしながら、大学を卒業し、それぞれ独立して今は素敵な家庭を持つようになりました。
長男は今、関東地方の病院で働いていますが、彼が結婚式の時のスピーチで「私の少年時代は毎日しゃもじでは掬えないようなおかゆを食べていました。今は医者となって美味しいものをたくさん食べられるようになったのですが、あの時のおかゆの美味しさは忘れられません。もう一度あのおかゆを食べてみたいと思います。」と話しました。
H先生が仰ったように、お腹をすかせて感謝していただく食べ物の真の美味しさは、物が溢れ豊かになった現代の子供たちには味わえないものだと思います。
また、先生の絵手紙の中に「腕時計」というのもありました。先生が初めて腕時計を買えたのは、20歳を過ぎて就職してからで、その時は、時間が気になって何度も何度も時計を見た記憶があるということでした。
それに比べ、今は小学生までも腕時計を持つようになり、時代は全く変わってしまった。しかし、先生たちの時代の青年達が夜も眠れないほど欲しいとあこがれ、求めようとした、そのドキドキするような心を失ってしまった現代の子供たちはかわいそうにも思う時があると書いておられます。
私も小学5年生の時、子供用の中古の自転車を買って貰いました。嬉しくてうれしくて夜もなかなか眠れません。夜中そっと起きだして土間に置いてある自転車を見に行きます。すると薄明かりの中で、ぼんやりと銀色に光る自転車のハンドルを見て、さらにドキドキして何時までも眠れませんでした。欲しい物がすぐ手に入る現代の子供たちの、豊かさゆえの貧しさを考えさせられます。
金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。伝道者5:10
見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。伝道者5:18
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