悪癖からの解決の道
~やりたくなくてもやってしまう…~
先日、あるテレビ番組で万引き常習者の葛藤について取り上げていました。多くの人は「なぜ万引きなんかするのだろう。それは悪いことだと分かっててなぜ辞めないのだろう。」と不思議に思います。
しかし、万引き常習者もやりたくてやっているのではないのです。彼らもこんなことをしていたら職を失い、家庭も失ってしまう、もう止めたい、2度としたくないと思いながら、またやってしまうというのです。
その内の一人の方は学校の教師をしておられたのに、最終的には職も家庭も失ってしまいました。その様な経験をした人は自分の愚かさに泣き、人生に絶望して、自殺まで考えるようになってしまいます。
しかし、私たちはこのような方々を一方的に人生の失格者として烙印を押すわけには行かないように思います。というのは、このような経験は大なり小なり、誰にでもあることだからです。
例えば、酒をやめられない、タバコをやめられない、ギャンブルをやめられないと戦っている人は多いと思います。これらの人は、止めようと何度決心してもまた繰り返してしまうのです。
あるいは親に従順しようと思っているのになかなかできない。勉強を頑張りたいと思っているのに続かないという経験のある方も多くおられると思います。
これらは私たちが生まれながらに持っている罪の性質の問題なのです。聖書にはこのような葛藤とその解決の道が示されています。
私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。・・・
私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。ローマ7:15~19、24
どこに行ったら、これらのことに対する解決の道があるのでしょうか。
私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。ローマ7:25~8:2
これらの解決の為に神のみ子イエス・キリストは救い主として来て下さり、私たちの罪の赦しのために十字架につき、私たちを罪から解放してくださったのです。
私たちは本来、霊⇒魂(心)⇒肉という命令系統のうちに生活するように創られました。それが最初の人アダムの罪によって、肉⇒魂⇒霊という逆の命令系統になってしまい、肉の欲望を魂(心)がコントロールできなくなってしまいました。それで、ついついやりたくないことをさせられてしまうようになったのです。これが罪と死の原理の内にはまった人間の姿です。
これは人の決心や努力では解決できません。それで救い主イエス・キリストが新しい原理の内を歩めるよう道を開いてくださったのです。あなたもお近くの教会に行ってこの真理を体験してください。
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