恵みの方に目を向けて

公開済み 9月 1, 2013 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜半分入ったコップの水〜

先日運転しながらラジオをつけると、トーク番組で落語家の柳谷花緑師匠がゲストで出ていました。彼は人間国宝の5代目柳家小さん師匠の孫にあたり、戦後の落語会の最年少22歳で真打昇進しました。

はた目には落語界のサラブレッド的存在で、順風満帆な人生を送っているように見えていましたが、彼自身は偉大な5代目柳家小さんの孫というプレッシャーに苦しめられ、自殺さえも考えることがあったと告白していました。

その様な時、彼は自分の思いを隠すことなく、赤裸々に告白した本を出版し、自分の心の内面と対峙するときを持ちました。そこから彼はあらゆる束縛から解放され新しい歩みを始めることができるようになったと話していました。

そこで彼が話されたことは、私たちが教会でお話ししている内容と全く一緒だったので共感しつつ聞かせていただきました。

彼があるとき、「コップに半分水が入っているのを見て、ある人は半分しか入っていないと見るでしょう。しかしある人は半分も入っていると思うでしょう。私たちがそれをどう見るかで、私たちの人生は大きく変わってくるのです」という話を聞かれたそうです。

そこで彼は、「あの本の出版を契機に、不平不満の方からではなく、感謝の方からいつも見るように心掛けました。すると、不思議にすべてが好循環するようになってきたのです。」と話しておられました。

これは真理なのです。私たちの視点がどこにあるかで、人生は大きく変わってきます。真理の書である聖書はそのことを私たちに強く勧めています。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5:16~18

私たちはいつも喜んでばかりはいられません。悲しい時もあります。苦しい時もあります。腹が立つときもあります。しかし、それらの解決は喜ぶ時に起るのです。

私たちが悲しみ落ち込んだり、苦しみの中で不安や恐れを抱いたり、不条理なことに、不平不満や憎しみを持ったりするとき、神様は私たちを祝福できないと言われるのです。私たちが喜び、感謝し、主に信頼して心を開くとき祝福が注がれるようになるのです。

これは私たちが生活する上での法則みたいなものなので、その法則に従うとき誰でも祝福の恵みを受け取ることができるのです。

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ4:5~7

私たちが問題を抱え、どうして良いか分からず思い煩うとき、神様は思い煩うなと言われるのです。いやそればかりか喜んでいなさい、また感謝しなさいと言われるのです。私たちが上手くいかない現実の方を見ていては到底喜べません、感謝などできるはずがありません。しかし、神様を見上げて、神の言われるとおりに感謝を始める時、新しいアイディアが生まれてきたり、解決の糸口が見えたりするようになるのです。

普段の生活の中で視点を変えて、不平不満の人生ではなく、感謝の人生を送るように致しましょう。

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