良い日本の礎
~「日本は世界一安全な国だ」った~
今年も敬老の日を迎えました。私の母は94歳で、認知症ではありますがとっても元気で、私たちと一緒に生活しています。先日は弟夫婦が敬老の日のお祝いに来てくれました。また、孫たちや教会員からもお祝いの贈り物を戴きました。母は皆に愛されて幸せな余生を送らせて戴いていることを感謝しています。
さて、敗戦によって荒廃した日本を世界第2の経済大国になるまで復興させてこられたのは、母の世代のいわゆる今高齢者と呼ばれている方々です。この様な、豊かな住みよい日本を作り上げてこられたのは、日本人の勤勉さや正直な性格と、他者への深い思いやりの精神があったからだと思います。
私の小さい頃は家に鍵があったかどうか思い出せません。ただ鍵をかけた記憶がないので、もしあったとしてもかける必要はなかったと思います。自転車には鍵がついていたように思いますが、やはりかけた記憶はありません。今と違って泥棒の心配をする必要がなかったからだと思います。
当時は「日本は世界一安全な国だ。」と聞かされても、あまりピンときませんでした。それらが当たり前の様に思って生きていたからでしょう。
また、昔はお隣同士で「醤油が切れたの、少し貸して」と言って、醤油さしをそのまま借りて行き、家でジャーとかけてすぐまた持ってくるというようなことを、どこでもごく普通に行っていました。また、テレビを見せて貰いにきたり、お風呂を借りにきたりと言うことがお互い様として普通に行われていました。
また、リンゴ2個もらったら、一個をお隣に「おすそわけです。」と言って持って行ったり、魚が釣れたから1匹食べてと持って来られたり、少ない物を分け合っていただくという風習が出来上がっていたように思います。
また、私が小さい時はしょっちゅう台風に見舞われ、床上浸水・床下浸水を繰り返しました。当時は今みたいに水道がなかったので、数軒先の井戸から一回一回水を汲んで来て、汚れた床や土間を流さなければなりませんでした。大変な労働だったと思いますが、みんなで協力して楽しそうに話しながら片づけていました。
今高齢者と言われる方々が貧しいながらも助け合い、支え合って素晴らしい日本の社会や文化を築き上げてこられたことを思って感謝しています。
しかし、残念ながら私たちの世代になって、先達が築き上げられたそのような良い習慣、素晴らしい精神を失ってきつつあるように思います。豊かになったことが人をどん欲にし、豊かになったことが人々の心を疎遠にし、豊かになったことが人の痛みに対する鈍感さを生み、自己中心的な人間を造ってしまったように思います。
今年も敬老の日を機会に、高齢者と言われる方々の素晴らしい習慣や良い精神、長年培われてきた知恵を学ぶ時としたいものだと思います。
正しい者の父は大いに楽しみ、知恵のある子を生んだ者はその子を喜ぶ。あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。箴言23:24~25
美しいが、たしなみのない女は、金の輪が豚の鼻にあるようだ。正しい者の願い、ただ良いこと。悪者の望み、激しい怒り。ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。箴言11:22~25
写真:今日、教会で敬老した方々と牧師先生
No Response to “良い日本の礎”