飢餓授業に対する小学生の感想文
〜『ああ、この子たちのために何か私たちにできることはないかな。』〜
先日、鹿児島市のN小学校で世界の飢餓についてのお話をさせていただきました。そして、そのことに対して子供たちが感想文を書いて送ってくれました。毎年ながら子供たちの純粋な反応にこちらが励まされています。
ここにそのいくつかを紹介させて戴こうと思います。
「飢餓について勉強する前まで、自分がこんな風に困ることなく暮らせていてよかったと思っていて、(そんなことは)人ごとだと思っていました。困っている人の気持ちを考えたことがありませんでした。
今日ビデオを見て、そして、牧師さんの話を聞いて、飢餓で困っている人や場所のじょうきょうを知り、自分の今の環境がどれだけ恵まれているかを知りました。飢餓で困っている人の気持ちを知ることはできないけれど、これからは飢餓問題が少しでも解決できるように、募金などに協力しようと思いました。
そして、飢餓以外にも学校に行きたくても行けない子供たちもいました。その中で支援を受けて、学校に行けている子供たちは、『学校が楽しい。勉強ができてうれしい。』と言っていました。私たちは宿題するのはめんどうだとか、この教科は苦手だと文句を言うことがあるけれど、その子たちはいろんなことにとても感謝しているんだと思いました。
これからは、自分たちの生活の便利さや、困っている人々の事を考えなければいけないと思いました。」6年A・Aさん
「日本はとても豊かです。なぜなら、当たり前のように食べ物が食べられる。当たり前のように水が飲める。当たり前のように勉強ができる。
でも、このようなことが当たり前ではない国がたくさんあります。水をくみに行くために、何日も歩いていくと聞き驚きました。さらに、何日も何百㎞も歩いて食料をもらいにいかなければいけないと聞き、また驚きました。
日本ではじゃ口をひねるだけで水が出るし、スーパーに行けばすぐに食料が買えます。日本の『当たり前』はとても豊かだから『当たり前』と言えるのだと思います。
だから私は飢餓に苦しむ人々のために何かできないかと考えました。例えば飢餓ぼ金があります。少しでもぼ金ができたら、一人でも多くの人が助かると思います。
佐多さん、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。これからの生活に生かしていきます。」6年N・Nさん
「佐多さんへ 今日はおいそがしい中ありがとうございます。私はよくスーパーなどで『赤い羽根ぼきん』に参加しています。でも今日のこのお話によって、今までの気持ちとはちがい、新しい気持ちが生まれました。『ああ、この子たちのために何か私たちにできることはないかな。』という気持ちが出てきました。
日頃、私たちが1日3食として朝、昼、晩と食べいるご飯も、アフリカの子供たちは1日2食だとか、食べられない国もあると聞いてびっくりしました。
佐多さんのエチオピアに来た2人の姉妹の話を聞いてさらにびっくり&むねが痛みました。『世界が平和になるように。』そのためには、私たち自身も協力、努力しなければならないのと改めて感じました。いつか世界が平和になることを願います。生活で苦しんでいる人たちが、生活が安定している人へ変わりますように。 募金以外にも協力しなければ・・・・!」6年K・Nさん
子供たちの純粋な反応に感謝します。彼らの内に苦しんでいる人を思いやる新しい視点が加わったことを嬉しく思います。
私たちが飢餓で苦しんでおられる人々のことを身近に感じ、自分の隣人、自分の友、自分の兄弟として受け入れられたら素晴らしいと思います。
友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。箴言17:17
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