コンピューターに囲まれた今の便利な生活
〜開拓当初は模造紙で賛美〜
教会の会堂には2つのパソコンが設置してあります。その一つは講壇の左側にあり、息子が様々な賛美、外国のものも併せて約1400曲ほど、入れてあるということです。そのパソコンで流す曲がミキサー、それがスピーカーに入り、会堂に響き渡ります。
もう一つは、講壇の右側、クラビノーバの横に置いてあり、それには礼拝時に歌う讃美歌の歌詞が順番通りに書かれており、それをプロジェクターから前方の画面に次々映して、皆その歌詞を見ながら歌います。
また、礼拝のメッセージの時も、使用する聖句が順次映し出されるようになっていて、お話しをしながら聖句が必要な時はその都度、画面に聖句を映し出して、皆が表れた聖句に注目することによって、少しでも記憶に残るようにと工夫しております。
そして、その二つのパソコンを会堂の後ろの方に座っている息子が彼のパソコンから遠隔操作して、賛美の曲や映像を順次変更して行きます。
先日は彼が東京に行っていたのですが、そこで礼拝で歌う讃美歌とメッセージで使う聖句を作ってもらって、こちらのパソコンで写し出せるようにしていただきました。便利な世の中になったなと思います。
また、パソコンはそのほか牧師室に、私がかねてメッセージ作成や週報作成時に使うノート型のものがあり、他に仕事机にデスクトップの大画面のパソコンが置いてあります。古いのを入れるとその他にも数台があり、今やパソコンに囲まれた生活です。
私たちが開拓伝道を始めた当初、すなわち今から約30年前からするとめまぐるしく状況が変わってきています。礼拝や生活がこんなにコンピューターに依存したものになるとは想像もつきませんでした。
開拓当初は、地域の公民館を借りて礼拝を始めました。日曜日の朝になると、まず数人が公民館に行き、掃除を始めます。その一方で礼拝に使用する諸々の物を他の人たちが手分けして運び込みます。
賛美する時は模造紙に書かれた賛美を二人が両側から持ったり、黒板に引っかけたりしてそれをめくりながら、運び込まれたカセットデッキやキーボードの伴奏で歌いました。公民館は畳の部屋だったので、メッセージはみな畳に座って聞きました。
礼拝が終わると持ち込んだ荷物を運び出して、最後にまたきれいに掃除して帰ります。古い公民館をあまりにもきれいに使うので、地域の役員の方から使用代金はいらないと言われましたが、こちらも大変助かっているのですからとお支払させていただきました。
当時は公民館を宗教的な用で定期的に使わしていただけること自体、大変珍しいことでした。これも神の恵みと周りの人々の教会に対する温かい思いやりのお蔭だったと思います。
開拓当初、公民館を使わせていただけることを感謝し、喜んで一生懸命掃除をさせて頂いた当時のことを忘れないようにしたいと思います。
会堂があって当然とか、別にきれいにしなくてもいつでも使えるという気持ちを捨てて初心に帰り、自由に礼拝できることを感謝しつつ、綺麗に使い続けたいと思います。またコンピューターの便利さも当然と思わないで、昔を思い出しつつ一つ一つに感謝しつつ日々を過ごしたいと思います。
すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。Ⅱコリント4:5
しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。Ⅰテモテ6:6~8
写真:教会の会堂で活躍している機器類。上部が講壇の左側、下部が講壇の右側。
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