本読みのボランティア
〜「教会のおじちゃん。今日はここ?」〜
先日小学校の本読みのボランティアに行ってきました。実は私が本読みのボランティアに行くようになったのは7,8年前、学校から様々なボランティアの募集が来たのがきっかけでした。
その時、学校のために私でも何か貢献できると思って喜びましたが、草刈り機による除草や木の剪定、軽トラを使った草木の運送等々私の手には負えないものばかりでした。そのような中で唯一私にもできそうなものが本読みのボランティアだったのです。
本読みは、とても滑舌の悪い私としては決して上手いほうではありません。しかし、できないことはないだろうと思って応募してみました。それがさせていただけるようになり、今日まで毎年続けてさせていただいて、いつの間にか、本読みボランティアの中では最古参になってしまいました。
私は、毎朝子供たちの登校の安全指導をさせていただいているのと、本読みのボランティアが長いこともあって、どのクラスに行っても、私を知ってる子がたくさんいて歓迎してくれるので大変ありがたく、やりやすさを感じています。
特に毎朝登校時に顔を合わせる子どもたちが、どのクラスに行っても大抵10人ぐらいはいるので、この人知ってるよと言う感じて、誇らしげに「教会のおじちゃん。今日はここ?」と大きな声で迎えてくれたりします。
また、本読みを始める前に「○○ちゃん、見える。」とか「○○くん、聞こえる。」とか名前を呼ぶので、他の子たちに「え、何で知ってるの?」とびっくりされてしまうこともよくあります。
本読みで読む本は教会の方で、聖書に即した愛をテーマにした良書をたくさん持っておられる方がおられるので、その方から低学年用、高学年用ともに4,5冊づつ貸して戴いて、その中から選んで読んで聞かせるようにしています。
私は学年に関係なく沢山の子供たちと接したいので、本読みをコーディネートしてくださる先生に、「1年生から6年生までどのクラスでもOKです。どこでも喜んでいきます。」と伝えているので、いろいろなクラスで本読みをさせていただいております。
しかし、たくさんのクラスで本読みしているのと、クラス替えでメンバーが変わったりするので、その内に誰にどれを読んだか、分からなくなってしまいます。そこで、毎回数冊の本を持って行き、順番に「これ読んだ?これは?」と聞いて読んでないのを選んで読むようにしています。
そして、明くる朝登校時に「昨日の話は分かった?」と聞いたりします。すると、子供たちが意外と内容を覚えてることに驚かされます。
そのことを妻に話すと、「大人の人は聞いてるようで聞いていない。子供たちは聞いていない様で聞いてるものよ」と。
なるほど真実だなと思います。
子供たちがこれからも学校の授業だけでなく、愛による生き方の大切さに触れるために、これらの良い本を紹介し、読み続けて行きたいと思っています。
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。Ⅰヨハネ4:18~21
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