日本人の美徳Ⅲ

公開済み 12月 10, 2014 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜「日本的な国家となるべきである」〜

今回はトランペルドール氏についてのお話しです。彼はイスラエル建国の英雄として知られていて、イスラエルで彼を知らない人はいないということです。

《彼は日露戦争当時ロシアに住んでいて、ロシア軍の一員として日本と戦いました。しかし、彼は日本の捕虜となって、他のロシア人捕虜約1万人とともに船に乗せられ、大阪の捕虜収容所に連れてこられました。

しかし、捕虜収容所とは言え、待遇はとてもよかったのです。収容所は海岸から近くて、周りの景色はとてものどかな所でした。また日本の家屋にはまだ電燈が普及していない時代でしたのに、収容所の建物にはどこも電燈がついていました。

捕虜は、それぞれの宗教によって分けられたので、約500人のユダヤ人たちは同じ建物で暮らすことができました。

捕虜によるパン工場も作られました。新鮮な肉や野菜がふんだんに支給されて、食糧事情は良かったのです。その上将校には当時のお金で月額3円、兵には50銭が支給されました。

トランペルドールは、日本人の所長にかけあい、収容所の中に学校をつくる許可を求めました。所長がそれを許可してくれたので、彼は捕虜たちにロシア語の読み書きや、算術、地理、歴史を教えました。

トランペルドールが、ユダヤ人のために収容所内で、過ぎ越しの祭りをしたいというと、所長は横浜のユダヤ人社会と連絡を取ってくれて、ユダヤ人捕虜のために種なしのパンの粉と、パンを焼くためのカマドを取り寄せてくれました。

そういう中で、彼は思ったのです。日本は、なんという文明国だろう。敵の捕虜に対してさえ、これほどに親切に接してくれる。どうして日本のような小さな国が、大国ロシアを相手に勝つことができたのか。それはこの日本人たちの心がこんなにも豊かだからではないか。日本人は、規律正しく、勤勉で、愛国心が強く、互いに私欲を捨てて公のために生きている。

ユダヤ人は今世界に流浪の民となっていて、自分もロシアに生まれたけど、やがてユダヤ人はパレスチナに帰って祖国を再建しなければならない。その再建されるユダヤ国家は、日本の様な国家でなければならないと心に思うようになったのです。

戦争が終わり、ロシアに帰った彼は、ユダヤ国家再建のためにパレスチナに渡りました。彼はそこで、イスラエル建国運動の中心的なリーダーになりました。そして、「イスラエルの地に、日本を手本としたユダヤ人国家を建設する」ことを夢見たのです。これは彼自身の言葉です。

彼はこころざし半ばでアラブ武装集団に襲撃され、銃弾に倒れたのですが、彼の功績をたたえた記念館がイスラエルにあり、そこには「新しく生まれるユダヤ国家は、日本的な国家となるべきである」と記された文章が展示されています。》

「神に愛された国・日本」久保有政著より

この様な文章を読むと、日本人であることが、なんだか誇らしい気持ちになります。しかし一方、あなた自身は?今の日本人は?と自問してみると、少し恥ずかしさを覚えると同時に、素晴らしい日本を築いてこられた先輩方に大変申し訳なく思います。

私たちの先祖は、彼が言うように規律正しく、勤勉で、愛国心が強く、互いに私欲を捨てて公のために生きてきました。しかし、その様な精神を私たちが全く失ったわけではありません。日本人の中にはいまだにその様な美しい心は宿っていると思います。

私たちも美しい日本の再建のために、もう一度その原点に立ち返りひとりひとりが理想の国に向かって歩もうではありませんか。以下はイエス様の御言葉です。

しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。・・・自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。ルカ6:27~31

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