私自身のクリスマス

公開済み 12月 21, 2014 by 管理人 in アドナイ・エレ

あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ

私の母は教育ママでした。私は兄弟の中でも特に勉強嫌いだったので、私を勉強させるとき、母はいつも私の横に座り、逃げないように見張りました。

その私が家元を離れて福岡の大学に行くと、そこは自由と解放の、まさしく天国です。そこにはもう教育ママはいません。ここには私を束縛するものは何もありません。私はようやく最高の幸せを得られたかのように感じました。勉強はしないで、タバコを吸い、酒を飲み、パチンコに興じました。別にそれらのものが好きだったわけではありません。ただ自由になったことをそれらのもので実感したかっただけだと思います。

しかし、そのうちそれらのもので喜びを感じなくなってきました。パチンコにはいつも負けてばっかりで、お金をどぶに捨てるようなものでした。酒も実はあんまり強い方ではありませんでした。それがいつの間にか、習慣になって止めることができなくなって行ったのです。

「パチンコはもうやめよう。これじゃ幾らお金があっても足りないわ。」と決心しても、昼間街を歩いていて、チンじゃらじゃらが聞こえると、もしかして今日は勝てるかもしれないと中に入るのです。しかし、現実は甘くはなく、毎日負け続けるためにパチンコ屋に通いました。

また、お酒も止めようと決心します。しかし、夜になりネオンが灯り始めると、どんどん気もそぞろになり、いつの間にか部屋を抜け出してスナックに足が向かっているのです。ある時、スナックのママから、「今月は4日来なかったね。」と言われたことがあるほどでした。

ある朝、起きると財布に最後の100円しか入っていませんでした。その日は寮の欠食日。今日1日100円で過ごさないといけません。しかし、当時は100円でパン1個と牛乳1本ぐらいは買うことができました。そこで、今日1日はパン1個と牛乳1本で過ごそうと決めました。

そこで、まずタバコを一服とタバコを探します。ありません。そこで、タバコも切らしていたことを思いだします。さあ大変です。食事は1日我慢できても、タバコは1日我慢できません。まずタバコを買わなければいけません。そこで、100円でタバコを買って、その日は断食です。

1日中何にも食べないで、お腹が空かないようにベッドに横になりながら、考えました。幸せを得ようと、自由と解放を求めてタバコも酒もパチンコも始めたのに、今私はそれらのものに束縛されて、苦しんでいる。そして、それらのものが私をかえって不幸にしている現実があることを知るのです。私はやがて、これが聖書にある罪の奴隷の姿だということを知るのです。

しかし、感謝なことに、やがて私を罪の奴隷から救ってくださる救い主がおられることを知りました。ミッションスクールに通っていながら、救い主のお話しなんて誰かの作り話程度にしか思っていなかったのに、それが真実だと分かり信じたのです。

その時私は罪の奴隷から解放されて心に平安と喜びが入ってきました。その瞬間、私は思わず「今日の1日は今までの1か月よりずっと素晴らしい。」と喜び叫んだのを覚えています。

暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」マタイ4:16

もちろん、それを機会に酒、タバコ、パチンコから完全に解放されました。それだけでなく、昔は束縛だと思っていた、本を呼んだり勉強したりすることが自由になり喜びとなったのです。これが私にとってのクリスマスです。この日を境に私の人生は変わります。クリスマスとはこの世界に救い主が来られたように、私たち一人一人の心の内に救い主が来て下さる時なのです。

私はこの喜びの世界を伝えるべく、生活が保障されていた会社を辞めて牧師になりました。一人でも多くの、かつての私みたいな人達に、真のクリスマスを体験していただくために、自分の生涯を使いたいと思っています。

御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。ルカ2:10~11

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