家庭内での訓練

公開済み 3月 30, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜家庭で仕事を教えないことは子供に泥棒を教えることと一緒だ〜

朝7時頃になると、近所の中学生、小学生、それにまだ保育園に通うほどの小さな子供までもが、ごみ袋をもってゴミステーションに向かいます。近頃はあまり見かけなくなっていた光景だっただけに、良い傾向だと喜んでいます。

子供達が家庭の中でそれぞれの役割を持ち、家族が助け合い、支え合って生活するのは、とても良いことであり、私たちが子供の頃はどこの家庭でもごく当たり前になされていたことでした。

昔は母親が朝早く起きて、かまどでご飯を炊き、鍋を火にかけ、まな板でトントンと野菜を切って朝食の準備をします。そのトントンという料理の音を聞きながら、子供達が心地よい眠りから覚めて、起き上がってくるというのが、どこの家庭でもふつうにみられる光景でした。

子供達は忙しいお母さんにあまり負担をかけないように、自分達で床を上げ、畳を箒で掃き、着替えをして、朝食の準備の加勢をして朝食を摂り学校に出かけていました。

学校から帰った子供たちには、近所の井戸まで水汲みに行ったり、水飲み場まで飲み水を汲みに行ったりする仕事が待っていて、近所の小学生が集まって、上級生に連れられて一緒に水汲みに行っていました。

また、それぞれの家庭には鶏や豚や牛などの家畜が飼われており、家畜小屋の掃除係りやえさやり係り等、それぞれの世話をする担当等が決まっていたので、それをすることによって自分が家族の一員として必要とされている重要な存在であるという自覚が持てました。

それが今は文明の著しい進歩により、炊飯器、オーブンレンジやトースター、電気・ガスのコンロ、掃除機に洗濯機や冷蔵庫等、様々な電化製品の登場によりすごく便利になり、母親への負担はかなり軽減されるようになりました。

それ自体は大変良いことですが、その分子供たちの家庭における仕事の出番が少なくなり、その結果家庭への帰属意識が薄れる傾向にあるように思われます。

また、母親によっては空いた時間を子供たちの世話に向けるようになり、子供はただ勉強だけをしていたら、後は親が何でもしてあげるという、結果的に子供の依存度を高めてしまうことになっていることもありそうです。

それが、喜入の子供達、いや少なくとも教会の近所の子供たちが、進んでゴミ捨ての役割を担当している姿を見て、彼らは家族が共に助け合う共同体であることを認識することができ、自分がこの家族に属し、重要なポジションにいるということを自覚することができるようになっていると思います。

ユダヤの諺に「家庭で仕事を教えないことは子供に泥棒を教えることと一緒だ」と言うのがあると聞いたことがありますが、日本でも多くの知識を持っていても、それを具体的に適用することを小さい頃からしっかり学んでおかないと、社会で働けない大人になってしまう可能性があるように思います。

また、日本でのお小遣いやお年玉などをあげる習慣についても、欧米の人にはゆがんだ習慣のように映るようで、お金はあくまでも労働の対価としていただけるものであることを小さい頃からしっかり教えておく必要があるはずだと言われます。

むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。・・・あなたの子を懲らせ。そうすれば、彼はあなたを安らかにし、あなたの心に喜びを与える。箴言29:15,17

私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。Ⅱテサロニケ3:10~12

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