沖縄研修報告Ⅱ

公開済み 4月 26, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜「敗戦を知り喜んだ」〜

先週もお話しさせて戴いたように、4月14日から17日までの4日間沖縄研修に参加させて戴きました。

実は今年2月、終戦70周年を機に、沖縄の痛みを知り学ぶ集会が行われ、そこで沖縄の出身で現在鹿児島に住んでおられる方々の証言や沖縄の過去や現在の実情を調べている阿野先生、久保木先生、麦野達一先生のお話を伺い、その他実際に沖縄県民の薩摩に対する特別な対応を体験した人等の証言に触れることができました。

一つは沖縄県民の中には自分たちの運命を変えた薩摩に対して、強い恨みを持っておられる方々がおられることや、また基地問題や地位協定の問題等、沖縄の戦後はまだ終わっていないという事実を知り、今回は私も実際に沖縄に行き、その実態を正しく理解して来たいとの思いで研修に参加させて戴くことに致しました。

初日は昼頃那覇空港について、早速午後から戦時中、渡嘉敷島で強制集団死に直面した沖縄基督教短期大学で、教授・学長を歴任された金城先生にお会いし、先生ご自身の体験談から2時間半ほど当時の状況を詳しく聞かせて戴きました。

1945年米軍が沖縄座間に上陸、沖縄の離島、渡嘉敷島の住民は秘密保持のため北山(にしやま)へ集団移動させられ、敵に捕まるよりは死をと、村長(軍人上がり)の天皇陛下万歳の掛け声が響く中、それを集団自決の合図と受け止めた住民等は、集団自決を始める。

その背後にあったのは、異常心理。鬼畜米英と住民の心に敵への憎悪が植えつけられていて、敵に捕まると、耳、鼻、手足を削ぎ落され、股裂きにして、戦車で轢き殺されるとの噂が立っていた。そして、敵に捕まることは最大の不名誉。実際、米軍に捕まった少年二人が、投降を呼び掛けに来ると日本軍に自決させられた。

その様なことから、ここで死んだ方がいい、殺してくれと互いに願い、妻子を手にかけ死なす。(日本軍にとっては、機密情報が漏れる心配がないので、案に圧力があったのかもしれないとお話を伺いながら思わされた。)

さて、金城少年らもそれに加担し、集団自決の一端を担う。その後、彼等はここで死ぬより、自分たちは敵陣に切り込みによる死を選択すると決意して、出掛けて行くと途中で日本軍の斥候に合い、残る島内避難民の所在を聞く。そして、そこに行くと、村長をはじめ助役や、村の主だった人はみな生きて集まっていた。情報や雰囲気に翻弄される村民弱者、その場から逃げ出し避難所に行く村の支配者。

人間の醜さと弱さと見る思いがし、戦時中のことで自分は違うとは断言できないと思わされる。その後、彼等は米兵に捕まり、保護されるが特に噂の様なことはなかった。

やがて、終戦を迎える。金城少年は日本の敗戦を知り喜んだ。彼等にとって日本軍が勝利することの方が恐怖だった。

さて、終戦によって肉体的には解放されたが、心に余裕が生まれた分だけ過去の記憶(集団自決に加担した)がよみがえり、絶望感に打ちひしがれる。それから、彼の内なる葛藤が始まり苦しい日々を送る。

そのような中で、一人の人から聖書を貰いそれを読むうちに、イエス様がすべての人の罪の身代わりとなって十字架に付いて罪の清算をし、死んでくださったことを知り、心の重荷が取り除かれクリスチャンになる。

しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。ヘブル926b28

先生は、これから沖縄が日本の、また世界のピースメーカーになることを切に願っておられることを話され、お話を終わられました。

平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。マタイ59

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