沖縄研修の報告Ⅲ

公開済み 5月 4, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜果たして日本の教会はキリストの指示に従っているでしょうか?〜

沖縄研修2日目にお話を聞かせて下さったのは那覇バプテスト教会の国吉牧師でした。先生は体調を損なう中、先に約束していたのでと、敢えてお時間を取ってご自身の戦争体験を語って下さいました。

1945年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸し、激しい地上戦が始まりました。国吉師がまだ小学生の時です。師の父親は嘉手納署に勤務する警察官で、住民保護にあたっていて、住民を激戦地の中部から、比較的安全地帯と言われた北部の山奥の大湿帯に誘導していました。しかし、米軍はそこにも現れ、制服姿の父親ひとりだけが射殺され犠牲になりました。

その後、国吉少年たちは逃げて避難小屋に隠れましたが、そこにも米兵がやってきました。そこで、見つからないように小屋の壁と土手の間に身を隠し、息をひそめていましたが、とうとう米兵に見つけられてしまいます。

彼は鬼畜米英と教えられていたので、今日は殺されると思っていましたが、彼の姉の足の傷を見ると、3人の米兵を呼ばれてきて、その治療を始めました。その優しい態度に彼の疑いは払しょくされ、自分の足の傷も治療してもらいました。そして3人は帰って行きました。

後になって、これらの3人は衛生兵で、クリスチャンであったと言うことを聞いて、一体クリスチャンとはどういう人だろうと興味を持ったことが、やがてクリスチャンになるきっかけになったと語っておられました。

先生が強く主張されたのは、沖縄が世界のピースメーカーになることであり、同じことを前日お話ししてくださった金城先生や、翌日沖縄の各米軍基地に案内してくださった那覇新都心キリスト教会の岡田先生も仰っておられました。

沖縄の方々は私たち以上に世界のピースメーカーになることを強く願っておられましたが、今回の研修で知ったことは、そこの方々はその真逆で、最も平和から遠い所におられるということを強く感じる旅となりました。

3日目、岡田先生ご夫妻の案内で、沖縄の基地を回りお話を伺うにつれ、沖縄の戦争はまだ終わっていないことを強く感じました。沖縄はベトナム戦争、湾岸戦争やイラク戦争などの時、米軍の攻撃基地として、そこから戦闘機が盛んに飛びたって行った所であり、未だにそこは戦場であり、平時も常に人殺しの訓練がされ続けられているところなのです。

沖縄戦は日本における唯一の県民を総動員した地上戦で、アジア太平洋戦争で最大規模の戦闘であり、20数万人の尊い命が奪われました。ようやく、日本が終戦を迎えると、沖縄はアメリカの支配下に置かれました。そして1972年日本復帰を果たした後も、日本の基地の74%が集中する基地の島として、戦争の苦しみを負い続けているのです。

沖縄の方々は人一倍平和を希求する人々であり、人間の尊厳を重要視して、もうこれ以上基地や戦争や人殺しに関わりたくないという強い思いがあるので、それが今の辺野古への基地移転反対の原動力になっているように思われました。

最後に、国吉牧師から投げかけられた問で、「教会はキリストの身体、キリストは教会のかしらです。果たして日本の教会はキリストの指示に従っているでしょうか?」

「キリストは『剣を取る者はみな、剣で滅びます。』と言われました。あなた方は人々を神の御心に誘導する祭司になっていますか?」「神の御心を示す預言者の務めを果たしていますか?」と聞かれた時、自分自身の姿勢を反省させられ、自分にはできていないと感じました。

先生から「戦時中にキリストを伝えた人もいた。」と聞いて、その様な状況下で果たして自分にその様なことができるだろうかと考えました。

私たちは状況がどうあろうと、環境が私たちに不利であろうと、御心に生きる者でありたいと思います。また、その時に私たちは主の栄光を拝することができるものと思いました。

主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。イザヤ2:4~5

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