お義母さんお帰りなさいⅡ

公開済み 6月 7, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜今は100歳まで〜

作:牧師夫人 佐多多視子

母が帰ってきてから、新しい生活パターンとなり、早く慣れなくてはと思っています。水溶液の様な食事をして頂くのに朝は2時間以上、夕は1時間半以上かかります。母の休憩時間に主人は用をすませ、髭を剃り、私は食器を洗い、少しでも夕食の準備をしておかないと日中何があるか分からないので、その用意をしたりバタバタしています。

母が入院する前、恵悟がほとんど歩けなくなった母を軽々と抱えていたのですが、恵悟が就職していなくなったので、主人が母の脇を私が足の方を持つとびっくりしたような顔をしていました。そこで何故そんな顔をしていたのかを考えてみました。

介護師さんや看護師さんが「佐多さん~しましょうね」「律子さん今から~しますからね」と言っておられたのを思い出して、何かをする前に声をかけることにしなくては、と主人と話し合いました。

自分に良いことをしてくれていても突然濡れたタオルで顔を拭かれたり、着替えをしてもらってもびっくりするばかりですね。それから声をかけるようになりました。「お母さん体位を変えますね」「お母さんおしめを取り替えますね」「お母さん礼拝に出るのでお母さんの一番好きな服に着替えましょうね」

母がおしめをするようになって8年になりますが、以前はおしめをビニール袋に入れてそのまま捨てていました。私たちはベランダをすぐ前にして食事をするので、その強烈な匂いで不快な思いをしていましたが、排尿のおしめには普通の消臭液を3度吹きかけ、排便のものにはストロング(介護用コーナーで見つけました)の消臭液を吹きかけてビニール袋に入れて捨てれば全くと言っていい程匂いはしなくなりました。早く気付けばよかったです。

また介護の下着等は割引セールの時に買っていたので慌てなくて済みました。元気なうちに少しずつ揃えておくと良いですよ、と教会員の方々に伝えました。また、今の季節は母が休むときはタオルケットを掛けていれば良いのですが、私が休む時間や夜中には薄い毛布を、また夜中から朝方にかけては厚めの毛布を掛けます。

私の母が私にしてくれたように私も子供達にし、主人の母が大切な子供達にしたように私もしていきたいです。私が自分の母にしたかった事をしていきたいです。

私が主人の母にこのようにできているのは、憐れみが先行しているからだと思います。私の母が口癖のように父のことを「6歳の時に実の親に死に別れるなんて、なんて可哀想なんでしょう。」と言っていました。アルコール中毒の様だった父が暴れ回っていても母はそう言い続けました。

母の言った事、成した事その教えは今も私の中に生きています。私は何でも親に相談できたし、自分の親なのでわがままを遠慮なく言えたし、帰省したい時は家に帰ることができました。大学まで出してもらって沢山のお金も使ってもらいました。

主人の母も私の父と同じように、小学校入学前に生母を亡くし、継母の産んだ子供達と洋服、弁当等に差をつけられて育ってきたにも関わらず、無償の愛で3人の息子を育ててこられた事に対する敬意です。

母が家に来て10年になりました。86歳の時でした。90歳まで生きていて欲しいと思い、それが過ぎたら95歳まで生きて欲しいと思い、今96歳です。7月に97歳になります。今は100歳まで生きて欲しいと思って接しています。

しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。夫の心は彼女を信頼し、彼は「収益」に欠けることがない。彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない。箴言311012

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