電車がストップする時

公開済み 6月 30, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜学校を休める素晴らしいチャンスなのに!?〜

今年の梅雨は例年になく激しい雨の日が多く、鹿児島中央―喜入間のJRがストップする回数が増えているように思います。元々ここは地理的に山が海岸線に迫っているので、大雨が降りやすく雨量の多い地域なのです。

そして、ここ喜入町には高校がないので、高校生は鹿児島中央行か指宿方面行の電車でそれぞれの高校に通学せざるをえません。それで、朝になると高校生が登校するために沢山駅に向かって歩いてきます。

激しい雨の日で電車が止まっていても、一旦高校生は駅まで来て電車の開通を待つのですが、一向に開通の目途が立たない時は仕方なく?自宅に向かって帰り始めます。聞くとどうやら電車通学の人は自宅学習への切り替えの連絡が学校から入るようです。

ここ数日この様な日々が続いていたので、さぞかし高校生たちも困っているだろうと、ある女子高校生に「連日電車が動かなくて大変だね。」と言うと、「ラッキー!」という意外な返事が返ってきました。「エ~ッ」と一瞬面喰いましたが、良く考えると私が高校生でも同じ反応をしたかもしれないなと思いました。

 

私の息子たち、次男と三男もここから鹿児島市街地の高校に通いました。雨が降って電車が不通になると、私が大雨の中、水が川のように流れる道路を車で彼らの学校まで送っていました。帰りも「電車で来られるところまで来て。」と言って迎えに走りました。

ある豪雨の日、次男を学校まで送ってあげることにしました。しかし、市街地まで行くのに息子一人だけでなく、彼の友達も一緒に乗せて行ってあげたほうが良いと思い、駅に向かいました。駅にはたくさんの高校生が足止めを食らい、電車が動くのを待っていました。

こんなに大勢の高校生、家の車にはこの内の数人しか載せてあげられない。これがバスみたいに大きな車だったら良かったのにと思いながら、駅の前に車を止め「お友達を誘ってきなさい」と息子を送り出しました。すると、しばらくして彼が一人で帰ってきました。私が不思議に思って「お友達はどうした?」と聞くと、「誰も送ってもらわなくて良い。」と言っていたとのことでした。

何の咎めもなく大手を振って、学校を休める素晴らしいチャンスなのに、なんでわざわざ車で学校まで送ってもらって、それをおめおめ潰す必要があるだろうか。それよりいつ動くか分からない電車をみんなでだべりながら待つほうがずっと良いと判断したようでした。

なるほど、子供たちはそう考えるだろうなと思いました。しかし一方、親としては同じ授業料を払ってるんだから、授業を受けなきゃ損だとか、また休んだことによって他の子より学習が遅れてしまったら大変とかを考えてしまいます。

 

今は息子たち三人とも関東の方に就職して行っているので、たとえ大雨が降っても電車が動いているかどうか心配したり、学校まで送らないといけないかなと思ったり等、降りしきる雨を見ながら考える必要がなくなりました。

今ではもう、電車が走っているかどうかを心配する必要がなくなったので、駅に立ち往生している電車を見ながら、「ああ今日も止まったか。」と、いたって冷静に反応をしている自分に気づきます。しかし、この駅は高校生だけでなく通勤されている方々も沢山おられることを思うと、不通になり困っている人々に対して、そのような思いを持ったことを申し訳なく思いました。

 

自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。ピリピ24~5

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