死を恐れない確かな生き方

公開済み 7月 20, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜乗客全員の命を助けるために……〜

フランスのことわざに「人には見つめることが出来ないものが2つある。ひとつは太陽。もうひとつは死である。」とあるそうです。

確かに、燦々と照り輝く太陽を見つめることなんて、眩しすぎて到底できません。また、親しい人の死に関しては、同情し痛み悲しみつつ受け入れられますが、自分の死についてはあまり深く考えないようにしているように思います。

しかし、ご存知のように死は避けることの出来ない現実であり、だれもが目をそらすことの出来ない恐ろしい事実であります。そして、この現実はやがてわたしにも、あなたにも必ず訪れる不可避の出来事だと知っております。

しかし、私たちが正しく死を見つめるとき、初めて、真実の生き方がわかってきます。私たちが正しく死を見つめる時初めて、創造主なる神の存在を知り、神を恐れ敬うことを知るようになります。

神様は聖書で、「はじめに神が天と地を創造された。そして次に、天と地と海とその中にあるすべての生き物を造られた。」と教えています。また、「神は土の塵(成分)から人を造り、いのちの息を吹きかけられた。そこで人は生きたものとなった。」とも言っています。

すなわち、神が天地万物を造り、すべてを支配しておられます。そして、神は人をも造り生かしておられると言われます。すなわち、わたしもあなたも、自分で生きているのではなく神によって生かされている存在なのです。

だから、神が人から息を取られると、人は土に帰るのです。人は土によって造られた存在だからです。

又聖書は「天の下のすべてに時がある。

生まるるに時があり、死ぬるに時がある。

植えるに時があり、植えたものを抜くに時がある。

また、泣くに時があり、微笑むに時がある。」

神のなさることはみな、その時に適って美しい。

また神は、「人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなさる業をはじめから終わりまで見極めることは出来ない。」とも言っておられます。

三浦綾子さんの書かれた実話を基にした小説に塩狩峠というのがあります。内容は、札幌に向かっていた列車が塩狩峠の頂上付近で突然最後尾の客車の連結が外れ逆走を始めるのです。それに乗り合わせていたクリスチャン青年、長野信夫さんは列車のブレーキをかけるが、客車は止まらず急坂を滑る降ちるように走り下ります。

しかし、やがて客車は少し平坦な所に来て、速度を落としゆっくり走るようになりますが、止まる気配はありません。まもなくまた急な下り坂に入り、スピードは増し、其の儘崖の下に落ち行ってしまうことは歴然としています。

そこで、長野青年は最後の決断をして列車から飛び降り、自分が線路と車輪の下敷きになって客車を止め、自分の死と引き換えに乗客全員の命を救うのです。

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。Ⅰヨハネ3:16

私たちの肉体は限りあるものですが、霊と魂(私たちの本質)は永遠に生き続けるのです。永遠の命への確信のある者が彼のような勇敢な行為ができるのです。

また、彼のこの様な行動の背後には、命がけで生きた父のあかしがあったのです。彼のお父様が亡くなられたとき、遺書が出てまいります。そこには「私があなた方に成したこと、また話したことの一つ一つが私の遺言だと思ってほしい。わたしはそのようなつもりで生きてきたから」というのがありました。

あのような確かな生き方が出来るのは、クリスチャンであるお父様が、創造主なる神様の存在を信じ、真実に生きてこられたゆえであると思います。

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