マルコの福音書2章18-28節より
2020年3月15日主日礼拝メッセージ
聖書には断食は年に一度の大贖罪日と呼ばれる日に行うように書かれている(レビ16:29)。パリサイ人の断食は偽善的なものであった。旧約の時代の宗教儀式ではなく、まことの贖罪のために罪なきキリストが人間の罪の刑罰の身代わりに十字架で罪の贖(あがな)いを成し遂げてくださった(へブル9:12)。
キリストは病を癒(いや)し、悪霊を追い出し、死人を復活させ、貧しい人、罪人の友となり、愛と赦しの福音、神の国を語り歩いた。人々はキリストのもとに集まり、その新しい権威ある教えを喜んで聞いた。
しかし、不気味な十字架の影がしのび寄り雲行きが怪しくなると、キリストに対する人々の態度は急変した。キリストがむち打たれ十字架にさらし者とされた時に、人々はもとより3年あまり寝食を共にして仕えた弟子たちもキリストを捨て、拒み、去って行った。
キリスト者は花婿なるキリストの純潔な花嫁に例えられる。キリストが十字架死なれることは、花嫁から花婿キリストが取り去られること。
キリストを十字架に付けた罪深い人間の罪を知り、悔い改めに導かれる(使徒2:36-38)。
しかしキリストは死んで三日目によみがえり、死と罪に打ち勝たれた(1コリント15)。キリストが十字架で流された血潮によって新しい契約が与えられる。それは自分の罪の身代わりのためにキリストが十字架で死んで復活されたことを信じる者に与えられる罪の赦しである。信じる者にはキリストと共に古い罪が死に、キリストのよみがえりと共に新しい命が与えられる(ローマ6:4)。神との関係が回復され、神の子とされる(ヨハネ1:12)。
キリストを信じた者は以前の生き方から、心、言葉、行いすべてがキリストに似た者とされていく(ローマ8:28-30)(2コリント5:17)。キリストの命のつながり罪に打ち勝つ力が与えられる(ローマ5:17)。