キリストに愛された者は神の言葉に従う

マルコの福音書12章38-40節より

2021年3月7日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

神の言葉を教える律法学者にイエスは厳しく警告します。彼らの生き方は自分の見栄を求めて、外見だけ神様に仕えていました。弱い者を救うべき神様の教えを逆手にとり、やもめ(未亡人)から金銭を巻き上げたりもしていました。神のことばを知っていても、神さまを侮っていました。神様の教えで、一番大切な愛をおろそかにしていました。愛とは仕えることです。彼らは神様のことばに仕えていませんでした。神様のことばを知ることは、同時に神のことばに従うことです。自分の人生の中で、日々の生活の中で、実際に神のことばを実行することです。

信仰生活は、単に規律を守ることではありません。あいさつしない人に、あいさつしなさいと叱ることと同じです。本来、あいさつは言われてするものではなく、自分の内からあいさつすることに意味があるのです。

しつけや教育、道徳では、人間の態度を変えることができても、その態度に至る心の中を変えることはできません。

それが人間の罪の性質です。キリストは罪から解放して、きよい命に変えてくださいます。自分の罪のために十字架で死なれたイエス様に自分愛されていることを知り、イエス様を愛して、神様のことばに従って、生きていきたい者とされます。愛は人を変えます。人間の愛でもそうなら、神様の愛はあなたを必ず変えてくださいます。

イエス様を信じて愛して生きる者は、イエス様に似た者に変えられていきます。人間は愛して大切にしている者に似ていくのです。

ですから、何に従っていくのか、何に仕えるのかは人生を決定するのです。

礼拝すべき創造主である神様を礼拝せず、他のものを神様よりも大切にして崇拝するなら、人生のあらゆる関係は狂いが生じます。

キリストは私たちと神様との関係を回復して、私たちが神様に対して信仰によって従順になるために来られたのです。どんな時も神様があなたと共にいて、この世の喜びや感情よりも、神様との関係を喜んで生きるためなのです。

その時、あなたはこの世の誇りで外見を装わなくても、内におられるキリストがあなたの輝きとなります。

アーメン。

「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」

(コリント人への手紙第Ⅱ4章16節)