人間の裏切りはキリストの十字架を超えない

マルコの福音書14章18-25節より

2021年5月9日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

最後の晩餐で主イエスは、この中にわたしを裏切る者がいると言われました。誰ひとり、自分は神の前に正しいと言えるものはいません。

イスカリオテのユダはイエスの弟子でしたが、いつからかイエスの言葉に従わずに罪を繰り返すようになりました。ユダは自分の欲望に従い、救い主イエスがくださる希望を信じなくなったのです。これは神から離れたすべての人間の姿です。

罪は新たな罪に向かわせ、正常な感覚をまひさせ、次第に良心の呵責に応答できなくなります。そして、最後は何をしても満たされずに、神の救いのみ言葉から完全に離れて死の滅びに落ちます。結局、ユダは最愛の師、いえ神であるイエスを自分の欲望のために売り渡したのです。

ユダは主イエスを裏切りましたが、イエスを十字架につけたのはユダではありません。すべての人は神に対して罪があり、すべての人の罪の身代わりにイエスは十字架で死なれたのです。

裏切りは人間の罪の性質の現れです。「悪事をたくらむ者」「親に逆らう者」「わきまえのない者」「約束を破る者」「情け知らずの者」など、これらも神から離れた罪が原因です。

主イエスの十字架はユダのためであり、すべての人間のためなのです。罪が人間を苦しめ、不自由にさせ、まことに生きる道を見えなくしているのです。主イエスはすべての罪をその身に受け、信じる者に赦しを与える新しい契約のために血を流されました。

最後の晩餐で、すべてをご存知であるイエスはそれでも、ユダを自分の左の席につかせ、パンを浸して渡します。これは愛する友へのもてなしを意味します。イエスはどんな罪人をも愛され、神から離れた罪の道から、わたしのもとに来なさいと招いておられます。

ユダの運命は聖書のみ言葉の成就です。サタンがユダに入り、イエスの死の背景には悪魔的な力が働いていました。サタンの目的は神様の計画を妨げることです。

しかし、ユダの裏切りによって、キリストを十字架につけてサタンは神様のご計画を壊したのでしょうか。いいえ、キリストが十字架で死なれ、葬られ、3日後によみがえられたことによって、神様のご計画、すべての人間の罪の束縛から救い出す命を勝ち取ったのです。罪の結果である死の力を完全に無力にされたのです。

いかなる罪であってもキリストを信じて赦されない罪はありません。人間の罪はキリストの十字架を超えることはできないのです。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」

(ローマ人への手紙5章8節)