マルコの福音書14章26-42節より
2021年5月16日主日礼拝メッセージ
十字架を前にイエスは弟子たちは自分を見捨てて逃げてしまうと予告します。弟子のペテロは私は絶対そんなことはしないと強く言い張りました。
しかし、ペテロは3度もイエスを知らないと言い、イエスを裏切りました。
信仰とは自分を頼りにするのではなく、全面的に神様に信頼することです。聖書が神様の言葉であると信じて、聖書に従って日々生きることです。
イエスは全人類の罪のために十字架で死ぬことにより、父なる神様との関係が絶たれ、見捨てられることに、恐れもだえていました。イエスはひとりで祈ることをよしとされず弟子たちを連れて祈り、また自分が悲しみで死にそうだと打ち明けます。父なる神様にもこの十字架のときを過ぎ去らせてくださいと祈ります。
人間は問題から逃げること、罪に生きる安易な道を選びますが、それは一時的で何の解決にもなりません
自分の弱さを正直に神様に祈るとき、その弱さに神様が働かれます。自分の方法ではなく、神様にすべてゆだねるとき、問題の解決を超えた信仰の勝利が与えられます。神様に従うならば、その時は苦しくても、永遠の平安と喜びに必ず満たされます。
最大の誘惑とは神のことばに従わず、別の方法を選ぶことです。
イエスこそが、最も苦しい道を通られ、最大の誘惑にあわれ、恐ろしい死を経験されました。
しかし、神様にすべて信頼して従い、最大の苦難から最大の勝利を取られました。
本当の幸いな人生は問題から逃げるのではなく、神様に従うことです。自分を捨てるとき、イエス・キリストを得ます。