マルコの福音書14章43-52節より
2021年5月23日主日礼拝メッセージ
イエスの弟子であったユダは、群衆やローマ兵、役人たちの先頭に立って、イエスを裏切って逮捕しに来ます。ペテロはどうしていいかわからずに、剣を振り回して、敵の耳を切り落とします。神の言葉と神の時がわからない(信じられない)ならば人間は損得、自分の心の感情に従って、何を基準に生きていいのかわかりません。
イエスが予告した通り、罪人たちにイエスは渡され、弟子たちはイエスを残して逃げて行きます。聖書に書かれていることが成就するために、これらのことは起こりました。
聖書には天の下には何事にも定まった時があると書かれています。聖書に書かれている通りに神が定められた期間が満ちて、イエスは人としてこの世界に来られました。神の時が満ちて、イエスは宣教を開始されました。イエスは神の定められた時をご存知でした。ご自身が罪人たちに渡されて多くの苦しみに会われ十字架で処刑され、3日目によみがえられなければならないことをご存知でした。
神様の定められた約束を誰も変えることはできません。誰も神に逆らって生きることはできないのです。その神の言葉とは、すべての人は神の前に罪人として生まれ、罪の刑罰として永遠の死を受けなければならないことです。
しかし、イエスはその罪の刑罰を十字架で身代わりに受けてくださいました。自分の罪のためにイエスが死んでくださったことを信じるなら、あなたは罪の刑罰の死から救われ、無罪放免となります。自分の力ではどうすることもできない滅びから救われ自由とされるのです。神の約束は、神のことばを信じることによってだけ、変えることができるのです。
私たちはもし、あの時に戻ることができたら…、過去の過ちがなかったなら…、人生をやり直すことができたらと思うことがあるかもしれません。
多くは時間の経過と共に忘れられたり、諦めたりすることができるかも知れません。
イエスを信じるなら、時間を超えて、すべての罪は完全に赦されます。神はすべての罪を赦され、罪責感は完全に解決されます。キリストの十字架と復活の命を受けて、新しく生まれ変わって生きることができるのです。過去の後悔も、時間の束縛からも解放されて永遠の存在とされるのです。
忘れないでください。神はいかなる時も、あなたを愛してくださっています。