人間が神を殺すことは絶対にできない

マルコの福音書14章53-64節より

2021年5月30日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

ユダヤの指導者たちは、偽りの証言によりイエスを死刑にするために裁判にかけました。歴史の中で前代未聞の最もおろかな裁判が行われました。被造物であり有限である人間が、永遠の万物の主権者である神を裁いて、殺そうとしたのです。

イエスは権威ある神の言葉を話し、罪の赦しを与え、安息日に病を癒し、愛とあわれみをその言葉と行いであらわされ、ユダヤの宗教家たちの心の中にある偽善をするどい真理で示されました。彼らはねたみ、恐れ、かたくなさから、イエスが神に遣わされたことを受け入れません。かえってイエスを憎み、殺害しようとします。

人間でありながら、自分を神とした冒涜の罪により、イエスに死刑にします。人間はまことの神であるイエスを十字架で殺してしまったのです。しかし、誰も神であるイエスの命を取ることなどできません。イエスご自身が命の光なのです。イエスは命を捨てる権威と、命を得る権威があるのです。罪なきイエスだけが人間の罪のために、全人類の罪のために十字架で自ら命を捧げることができたのです。

神ははじめであり、終わりです。神は永遠に変わることはありません。イエスが人となってこの世界に来られたのは、すべての人が神の存在を知るためです。人間の側からはいくら努力して探しても神を見出すことはできません。イエス・キリストを通して、聖書を通して、神はご自身を明らかにされます。

神はイエスにより、人間に福音を与えてくださいます。福音とはよき知らせの意味で、キリストを信じることによって、罪赦されることです。福音はどんな頭のいい天才でも考え付かない神のみわざです。

信仰は知識に先立ちます。神を信じるとき、知識が信仰を支えてくれます。キリストはすべての人の罪の刑罰の身代わりのために十字架で死んでくださり、3日目によみがえられました。そして、今生きてはたらかれている真の神様です。信じる者は罪赦され、神と永遠の生きた交わりに入れられます。