何処にいても、どんな時もキリストはあなたと共におられるインマヌエルの神

マルコの福音書16章9-20節より

2021年7月18日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

十字架に付けられ三日目によみがえるというイエスの言葉を信じてマグダラのマリヤはよみがえりのキリストに出会います。

マリヤは弟子や悲しんでいる人たちに、キリストがよみがえられたことを知らせます。しかし、彼らはよみがえられたキリストを見た人たちの言葉を信じませんでした。キリストは彼らの不信仰とかたくなな心を責められます。

神に近づく道は二つしかありません。一つは神の命令を完全に守ることです。しかし、それは誰もできません。もう一つは信仰によって神に近づくことなのです。

私たちはキリストの十字架も復活も目撃していません。しかし聖書の中のキリストのよみがえりの目撃者の言葉を信じるなら、キリストの救いを受けるのです。信仰とは見えない事実を信じる保証なのです。信仰は得体のしれない神秘的なことを信じるのではありません。信仰は信頼できる事実に基づいているのです。よみがえられたキリストを信じて受ける救いは、神の言葉の聖書の真実であり選択の余地はないのです。

キリストを伝える者がいなければ誰も神と出会うことはありません。テレビでもラジオでも本でもないあなただから伝えられるイエス様のお話があるのです。あなたが伝える言葉に神様が働かれて誰かがキリストに出会うのです。このように復活のキリストと出会ったことをマリヤが伝えたことから始まって、時代と国を超えて巡り巡ってあなたにもキリストが伝わったのです。それは神の力ある働きです。

キリストを信じる者は、イエスの御名によって力ある人生を生きていくことができます。婦人警官は笛を鳴らして交通整理をします。大きなダンプカーもオートバイも彼女の指示に従います。それは彼女に迫力や腕力がなくても、彼女には交通整理をする権威が与えられているからです。

水戸黄門のようにあなたの名前に力はなくてもイエスの御名に頼るなら悪魔の力も退けます。あなたが語るキリストの言葉は聞く者を慰め、力づけ、希望を与えます。

これからは何があっても、嬉しい時も、失望の時も、いつまでもいつまでも、永遠にイエス・キリストはあなたと共におられます。インマヌエルの神です。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

(マタイの福音書28章20節)

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