ヨハネの福音書21章14-22節より
2022年7月10日
<聖書>
イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
(ヨハネの福音書21章14-22節)
<説教>
人間にはどうしても変えられないことがあります。人生に「もしも…」はないと言われますが、過去の失敗や過ちをやり直すことはできません。
ペテロはイエス様が十字架に付けられる前に、自分可愛さにイエス様を裏切って見捨てました。彼はそれから故郷のガリラヤへ帰り、もとの漁師の仕事に戻りました。しかし、何か大切なものを失ったようでした。
人は過去の罪をいくら悔やんでも責めても元に戻りません。何かに没頭して過去を忘れようとしたり、善いことをして、自分を満足させようとしても、それは一時的で根本的な解決にはならないのです。ましてや、苦しみ、悲しみ、不安や恐れから逃げるために死を選ぶことは、解決どころか、もっとも大きな罪を犯すことになるのです。聖書は言います。
わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。──神である主の御告げ──だから、悔い改めて、生きよ。
(エゼキエル書18:32)
もし、あなたがもう今までの罪深い生き方をやめたい。私は人間らしく正しく、真実に生きていきたいと願っても、具体的にどうすればいいのかわからないかもしれません。
あなたの過去の過ちを責める人がいても、また自分で自分を責めて、過去から新しく始めることができないとしても、神さまはあなたの罪を責めることはありません。あなたの罪を赦したいと、ひとり子のイエス様を十字架につけてくださったのです。
あなたは今まで誰に従ってきましたか。ペテロは十字架で死なれよみがえられたイエス様を愛しているか問われます。誰よりもペテロは自分を愛し、自分に従ってきたのです。
次の聖書のみことばを信じて、あなたの罪の身代わりのためにイエス様が十字架で死なれたことを信じるなら、あなたの罪はすべて赦されます。神さまとの正しい関係に生きる者に新しく変えられます。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
(ペテロの手紙第一2:24-25)
あなたの人生はみじめで、どうでもいい偶然なものではありません。どうか誰かの人生と比べないでください。神さまが用意された、かけがえのないあなたのための祝福の人生なのです。
あなたが過去の罪の苦しみで人生をあきらめないために、イエス様はあなたを愛し、十字架で死んでくださいました。その愛の意味を信じるなら、誰とも比べられないあなたの人生の大切な意味が必ずわかります。
あなたは生まれてから死ぬまでの間に、イエス様を信じて、神さまと和解して、罪赦された者として新しく生きてゆけるのです。