「人生(じんせい)の転機(てんき)」ジョン・ニュートン(1725~1807)

奴隷(どれい)(せん)船長(せんちょう)から世界中(せかいじゅう)()られる讃美歌(さんびか)アメイジング(おどろくばかりの)グレイス(めぐみ)」の作詞(さくし)(しゃ)

ニュートンは、1725(ねん)にロンドンで生まれました。(かれ)父親(ちちおや)船乗(ふなの)りで、ほとんど家にいませんでした。子供たちを(そだ)てる責任(せきにん)は、敬虔(けいけん)愛情(あいじょう)(ぶか)いクリスチャンの母親(ははおや)(かた)にかかっていました。彼女(かのじょ)はいつもジョンの手を()って、(かみ)(まえ)にひざまずいて(いの)り、自分(じぶん)(しゅ)にささげるように(みちび)きました。そして(かれ)聖書(せいしょ)()み、賛美歌(さんびか)(あん)(しょう)することを(おし)えました。(かれ)が7(さい)(とき)母親(ははおや)過労(かろう)病気(びょうき)のために()くなりました。そのような打撃(だげき)によって、少年(しょうねん)(こころ)はかたくなになりました。11(さい)(とき)にいじめに()い、学校(がっこう)()め、父親(ちちおや)について(うみ)()ました。(かれ)は20(ねん)以上(いじょう)もの(あいだ)流浪(るろう)放浪者(ほうろうしゃ)として()ごしました。(はじ)めは、船乗(ふなの)りの生活(せいかつ)をしましたが、放蕩(ほうとう)生活(せいかつ)(さけ)()(ごと)日々(ひび)でした。(かれ)何度(なんど)福音(ふくいん)()きました。それを()くたびに、(かれ)(あい)する母親(ははおや)(かお)(おし)えを(おも)()し、(こころ)()されました。しかし、(かれ)邪悪(じゃあく)生活(せいかつ)から()()せませんでした。

その()(かれ)はアフリカに()って、奴隷(どれい)貿易(ぼうえき)(たずさ)わりました。(はげ)しい喧嘩(けんか)()こり、その結果(けっか)今度(こんど)(かれ)奴隷(どれい)として()られました。(かれ)(くる)しみ、(なや)みました。(こころ)(なや)みと身体(しんたい)(くる)しみから逃亡(とうぼう)しましたが、(かれ)()()けていたのは、さらに(おお)くの鞭打(むちう)ちと投獄(とうごく)で、()ぬような(おも)いをしました。(さいわ)いに(ちち)友人(ゆうじん)であった親切(しんせつ)船長(せんちょう)(たす)けられ、本国(ほんごく)(かえ)ることになりました。しかし、その航海(こうかい)途上(とじょう)大西(たいせい)洋上(ようじょう)(おそ)ろしい大暴風雨(だいぼうふうう)()()まれ、浸水(しんすい)して、沈没(ちんぼつ)するばかりでした。(かれ)必死(ひっし)(かみ)のあわれみを(もと)め、()(あらた)めて、信仰(しんこう)()(かえ)ったのです。

ジョンは大嵐に遭い九死に一生を得た

その()(かれ)堕落(だらく)生活(せいかつ)(あらた)まらず、(あら)くれの奴隷(どれい)(せん)船長(せんちょう)にさえなっていましたが、やがて(かみ)不思議(ふしぎ)(みちび)きによって、クリスチャンの船長(せんちょう)()()い、母親(ははおや)から(おし)えられた(かみ)(つか)えるようになりました。

1754(ねん)当時(とうじ)有名(ゆうめい)伝道者(でんどうしゃ)、ジョン・ウェスレーやホィットフィールドの指導(しどう)()け、(かれ)(しゅ)(はたら)きをするようになりました。(かれ)はすばらしい()学力(がくりょく)があり、ギリシャ()やへブル()(まな)び、(かみ)(おお)いに(もち)いられました。

(かれ)墓碑(ぼひ)には(つぎ)のように(きざ)まれています。

「ジョン・ニュートン、伝道者(でんどうしゃ)、かつては(ふか)放蕩(ほうとう)(かぎ)りを()くした無神論者(むしんろんしゃ)で、アフリカの奴隷(どれい)貿易(ぼうえき)をした(もの)が、(しゅ)イエス・キリストの(ふか)(めぐ)みによって(ゆる)され、(すく)われ、()まれ()わり、(かみ)のしもべとして福音(ふくいん)()(つた)える(もの)となる