人生を支える2本の柱~あなたのすべてを知るお方が必要

詩篇139篇1-16節より

土山みことばキリスト教会

2022年7月17日

<聖書>

指揮者(しきしゃ)のために。ダビデの賛歌(さんか)

(しゅ)】よ。あなたは私を(さぐ)り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを(とお)くから()()られます。あなたは私の(あゆ)みと私の()すのを見守(みまも)り、私の(みち)をことごとく知っておられます。ことばが私の(した)にのぼる前に、なんと【(しゅ)】よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。あなたは前からうしろから私を()(かこ)み、御手(みて)を私の上に()かれました。そのような知識(ちしき)は私にとってあまりにも不思議(ふしぎ)、あまりにも高くて、(およ)びもつきません。

私はあなたの御霊(みたま)から(はな)れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前(みまえ)(はな)れて、どこへのがれましょう。たとい、私が(てん)(のぼ)っても、そこにあなたはおられ、私がよみに(とこ)(もう)けても、そこにあなたはおられます。私が(あかつき)(つばさ)をかって、(うみ)()てに()んでも、そこでも、あなたの御手(みて)が私を(みちび)き、あなたの右の手が私を()らえます。

たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の(まわ)りの(ひかり)よ。(よる)となれ」と言っても、あなたにとっては、やみも(くら)くなく(よる)(ひる)のように(あか)るいのです。(くら)やみも(ひかり)も同じことです。

それはあなたが私の内臓(ないぞう)(づく)り、母の(たい)のうちで私を()()てられたからです。私は感謝(かんしゃ)します。あなたは私に、(くす)しいことをなさって(おそ)ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに(づく)られ、()(ふか)(ところ)仕組(しく)まれたとき、私の骨組(ほねぐ)みはあなたに(かく)れてはいませんでした。あなたの目は胎児(たいじ)の私を見られ、あなたの書物(しょもつ)にすべてが、書きしるされました。私のために(つく)られた日々(ひび)が、しかも、その一日(いちにち)もないうちに。

詩篇(しへん)139篇1-16節)

<説教>

150(へん)ある詩篇(しへん)半数(はんすう)は神さまに(たす)けを(もと)める(いの)りです。その大半(たいはん)はダビデが書いた詩篇(しへん)です。彼は名もない羊飼(ひつじか)いからイスラエルの王となりました。詩篇(しへん)にはひとりの人間としてのダビデの正直(しょうじき)告白(こくはく)があります。

あなたはどこにいても何をしていても、自分から(はな)れることはできません。もうひとりあなたと一緒(いっしょ)にいる(かた)、それが神さまです。神さまはあなたのことを(すべ)てご存知(ぞんじ)です。

神さまは、あなたが話す前にその言葉(ことば)を知っています。あなたが何かをする時、その動機(どうき)さえも知っています。あなたの(こころ)(ふか)内面(ないめん)をご存知(ぞんじ)なのです。

(つく)られたもので、神の前で(かく)れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが(はだか)であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明(べんめい)をするのです。

(へブル人への手紙4章13節)

あなたは、ひとりで(さみ)しく、偶然(ぐうぜん)に生まれたのではありません。あなたが両親(りょうしん)から生まれる前から、神さまはあなたをご存知(ぞんじ)でした。聖書(せいしょ)によると、この世界(せかい)(つく)られる前からあなたの人生(じんせい)は神さまによって(さだ)められていました。神さまはあなたの存在(そんざい)を愛しておられるのです。

あなたの人生(じんせい)にはふたつの(はしら)があります。ひとつはあなたの意志(いし)です。もうひとつは神さまの御心(みこころ)(おもい)です。あなたの人生(じんせい)という家がしっかりと()つには、このふたつの(はしら)必要(ひつよう)です。

あなたがどんなに努力(どりょく)して頑張(がんば)っても、本当に(ゆた)かな人生(じんせい)には到達(とうたつ)できません。神さまの御心(みこころ)()り、自分の人生(じんせい)が神さまによって()()げられなければなりません。神さまはあなたに使命(しめい)を与え、あなたの人生(じんせい)にご計画(けいかく)をお()ちなのです。それはあなたが(かんが)える人生(じんせい)とはまったく(ちが)うかも()れません。しかし、神さまには完全(かんぜん)なご計画(けいかく)です。

人は(こころ)に自分の(みち)(おも)(めぐ)らす。しかし、その人の(あゆ)みを(たし)かなものにするのは【(しゅ)】である                                 

箴言(しんげん)16章9節)

ダビデは王さまになるまでに、試練(しれん)屈辱(くつじょく)経験(けいけん)しました。それは神さまがダビデを訓練(くんれん)して信仰(しんこう)の人とするためでした。神さまにひざまずき、神さまに信頼(しんらい)する(もの)となるためでした。

また、ダビデは自分の(つみ)(けが)れに(くる)しみました。しかし、神さまの御心(みこころ)はそのことを()めるのではなく、ダビデが正直(しょうじき)に自分の(つみ)やあやまちやを神さまに告白(こくはく)するなら、(つみ)をゆるし、けがれをきよめることでした。

神さまの御心(みこころ)()り、神さまとともに生きるためには、まずイエス様を(しん)じることから(はじ)まります。このお(かた)が人間のすべての(くる)しみをご存知(ぞんじ)で、人間の(つみ)をゆるすために、十字架(じゅうじか)()んでよみがえられたのです。

あなたはひとりぼっちではありません。イエス様があなたを()っておられ、いつも(とも)におられます。

ダビデの賛歌(さんか)


(しゅ)】は私の羊飼(ひつじか)い。私は、(とぼ)しいことがありません。
(しゅ)は私を(みどり)牧場(ぼくじょう)()させ、いこいの水のほとりに(ともな)われます。
(しゅ)は私のたましいを生き返らせ、御名(みな)のために、私を()(みち)(みちび)かれます。
たとい、()(かげ)(たに)を歩くことがあっても、私はわざわいを(おそ)れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの(つえ)、それが私の(なぐさ)めです。
私の(てき)の前で、あなたは私のために食事(しょくじ)をととのえ、私の頭に(あぶら)をそそいでくださいます。私の(さかずき)は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の(かぎ)り、いつくしみと(めぐ)みとが、私を()って()るでしょう。私は、いつまでも、【(しゅ)】の家に()まいましょう。

(詩篇23篇)