聖書は信じる者を救う神のことば

テモテへの手紙第二3章12-17節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月7日

<聖書>

(たし)かに、キリスト・イエスにあって敬虔(けいけん)()きようと(ねが)(もの)はみな、迫害(はくがい)()けます。しかし、悪人(あくにん)詐欺師(さぎし)たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます(あく)()ちて()くのです。
けれどもあなたは、(まな)んで確信(かくしん)したところにとどまっていなさい。あなたは自分(じぶん)が、どの(ひと)たちからそれを(まな)んだかを()っており、
また、(おさな)いころから聖書(せいしょ)(した)しんで()たことを()っているからです。聖書(せいしょ)はあなたに知恵(ちえ)(あた)えてキリスト・イエスに(たい)する信仰(しんこう)による(すく)いを()けさせることができるのです。
聖書(せいしょ)はすべて、(かみ)霊感(れいかん)によるもので、(おし)えと(いまし)めと矯正(きょうせい)()訓練(くんれん)とのために有益(ゆうえき)です。
それは、(かみ)(ひと)が、すべての()(はたら)きのためにふさわしい十分(じゅうぶん)(ととの)えられた(もの)となるためです。

(テモテへの手紙(てがみ)第二 3章12-17節)

<説教>

この世界にあるものはすべていつかは消え去ります。(つみ)と死の力が(ほろ)びへと向かわせています。そのような現実の中で、あなたは何を信じて生きていますか。生きている限り、人は何かを(しん)じているのです。あなたの(しん)じているものは、あなたを永遠(えいえん)に生かすものでしょうか。何を(しん)じているかが大切(たいせつ)なのです。

あなたが本当に幸せな人生を生きるために、言いかえるなら、あなたが本当にいのちをいただいて生きるために、(かみ)さまを知ることが必要(ひつよう)なのです。人間は自分で(かみ)さまを知ることはできません。

(かみ)さまご自身(じしん)のことばによって、人間は(かみ)さまを知ることができます。それが聖書(せいしょ)です。聖書(せいしょ)には旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)新約(しんやく)聖書(せいしょ)があります。旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)にはキリストと言われる(すく)(ぬし)についての預言(よげん)が書かれています。新約(しんやく)聖書(せいしょ)はその預言(よげん)成就(じょうじゅ)して(かみ)さまに(つか)わされたイエス・キリストについて書かれています。

聖書(せいしょ)は人に(つみ)をさとらせます。(つみ)とは(かみ)さまとの正しい関係(かんけい)(うしな)っている()状態(じょうたい)です。(かみ)さまを(おそ)れずに生きるならば、人間はたかぶり、自分の(よく)のままに生きても(ほろ)びます。人間は(つみ)のために(かみ)さまから(はな)れて、(かみ)さまを知ることができません。その(つみ)問題(もんだい)解決(かいけつ)のためにキリストは、あなたの(つみ)刑罰(けいばつ)身代(みが)わりに十字架(じゅうじか)()なれたのです。

キリストを個人的(こじんてき)にあなたの(つみ)からの(すく)(ぬし)(しん)じるならば、あなたは(つみ)(ゆる)され、(かみ)さまと和解(わかい)することができます。(かみ)さまとの関係(かんけい)永遠(えいえん)のいのちと言います。(かみ)さまの子どもとして、いつまでも(かみ)さまと共に生きることができます。

家族(かぞく)(うしな)って、その()わりの人を(さが)しても、本当の(しあわ)せはありません。(つみ)とは(家族の)状態(じょうたい)関係(かんけい)()()られることです。人が何よりも求めるのは家族の関係(かんけい)回復(かいふく)です。永遠(えいえん)(よろこ)びとは家族(かぞく)と生きることです。そこに試練(しれん)問題(もんだい)があっても、そこに本当の(よろこ)びや平安(へいあん)があるのです。そこにいのちがあるのです。

信仰(しんこう)もこの地上(ちじょう)家族(かぞく)と同じです。イエス・キリストを(しん)じて、(かみ)さまとの関係(かんけい)回復(かいふく)することは、家族(かぞく)関係(かんけい)回復(かいふく)です。これなしに、人は決して(しあわ)せな人生を送ることはできません。(ほろ)びの世界の中で聖書(せいしょ)(しん)じる者は(さいわ)いです。