あなたの中にある神様のかたち

創世記1章24-28節より

土山みことばキリスト教会

2022年8月28日

<聖書>

(かみ)(おお)せられた。「地が、種類(しゅるい)にしたがって、()(もの)(しょう)ぜよ。家畜(かちく)や、はうもの、野の(けもの)を、種類(しゅるい)にしたがって。」そのようになった。
(かみ)は、種類(しゅるい)にしたがって野の(けもの)を、種類(しゅるい)にしたがって家畜(かちく)を、種類(しゅるい)にしたがって地のすべてのはうものを(つく)られた。(かみ)はそれを見て()しとされた。
(かみ)(おお)せられた。「さあ人を(つく)ろう。われわれのかたちとして、われわれに()せて。彼らが、(うみ)(うお)(そら)(とり)家畜(かちく)、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配(しはい)するように。」
(かみ)は人をご自身(じしん)のかたちとして創造(そうぞう)された。(かみ)のかたちとして彼を創造(そうぞう)し、男と女とに彼らを創造(そうぞう)された。
(かみ)は彼らを祝福(しゅくふく)された。(かみ)は彼らに(おお)せられた。「()めよ。ふえよ。地を()たせ。地を(したが)えよ。(うみ)(うお)(そら)(とり)、地をはうすべての()(もの)支配(しはい)せよ。」

<説教>

天地(てんち)創造(そうぞう)の第六日に動物(家畜(かちく)・けもの・地をはうもの)、そして人間が(つく)られ

ました。動物は「種類(しゅるい)」に従って(つく)られました。しかし、人間は「(かみ)さまのかたち」として、(かみ)さまに()せて(つく)られました。

(かみ)である【主】は土地のちりで人を形造(かたちづく)り、その(はな)にいのちの(いき)()()まれた。そこで人は生きものとなった。」                                                 (創世記(そうせいき)2:7)

(かみ)さまのかたちとは何でしょうか。

1.人は理性(りせい)ある存在(そんざい)

人は(けっ)して欲望(よくぼう)のままに生きる存在(そんざい)ではありません。何が(あく)で、何が(ぜん)であるかを判断(はんだん)できます。私たちは自分の行動(こうどう)責任(せきにん)を持っています。自分の生き方がなげやりであってはならないのです。人はいくら欲望(よくぼう)()たしても満足(まんぞく)できない存在(そんざい)なのです。

(あた)えられた(いのち)家族(かぞく)、すべてを感謝(かんしゃ)して大切にしましょう。

他の動物と(ちが)い、(あく)を行わないだけでなく、すすんで(ぜん)を行うことができる存在(そんざい)なのです。

「私たちは(かみ)作品(さくひん)であって、()い行いをするためにキリスト・イエスにあって(つく)られたのです。(かみ)は、私たちが()い行いに歩むように、その()い行いをもあらかじめ(そな)えてくださったのです。」               (エペソ人への手紙2:10)

2.人はこの地上の生きものを管理(かんり)する存在(そんざい)

この地上の被造物(ひぞうぶつ)を正しく管理(かんり)するべき存在(そんざい)です。(かみ)さまが(つく)られたすべての生きものに対して、人間は思いやりをもち、彼らの幸福(こうふく)のためにも()()うべきなのです。

しかし、人間の勝手(かって)により、自然(しぜん)破壊(はかい)や、生きものは絶滅(ぜつめつ)危機(きき)にあります。その結果(けっか)、人間は天災(てんさい)異常(いじょう)気象(きしょう)食糧難(しょくりょうなん)病気(びょうき)などのわざわいを(まね)いています。 人間は何かを創造(そうぞう)して生み出したいという意志(いし)があります。芸術(げいじゅつ)文化(ぶんか)、言葉、生き方など。(かみ)さまが()いものを創造(そうぞう)されたように、人間の創造(そうぞう)(いのち)を生み出す存在(そんざい)なのです。

3.人は関係が必要(ひつよう)存在(そんざい)

人間が(かみ)さまに創造(そうぞう)されたということは、孤立(こりつ)して生きる存在(そんざい)ではないということです。人は人間との(かか)わりの中でしか成長(せいちょう)できません。社会(しゃかい)の中で生きるとき本当の人間となることができます。すべての人は親戚(しんせき)身内(みうち)です。競争(きょうそう)相手(あいて)としてではなく、仲間(なかま)なのです。(あい)し合うように聖書(せいしょ)は教えています。

人間は(かみ)様に(つく)られた有限(ゆうげん)被造物(ひぞうぶつ)でもあります。人は自分が独立(どくりつ)して自分の力により存在(そんざい)していると思うかもしれませんが、一つ一つの呼吸(こきゅう)さえ(かみ)さまによって(あた)えられています。

有限(ゆうげん)存在(そんざい)であるということは、不完全(ふかんぜん)でいいということです。自分の(よわ)さ、あやまりをおそれずに、かえって間違(まちが)っているかも知れないという謙遜(けんそん)姿勢(しせい)で生きるべきです。

(かみ)さまが必要(ひつよう)被造物(ひぞうぶつ)であることを(みと)めて生きるなら、満足(まんぞく)幸福(こうふく)があり、(みと)めないなら失望(しつぼう)挫折(ざせつ)があります。

人間は他の被造物(ひぞうぶつ)とは比較(ひかく)できない素晴(すば)らしい存在(そんざい)です。しかし、それは、(かみ)さまが人間を(つく)られたから素晴(すば)らしいのです。ヴァイオリンにストラディバリウスという名器(めいき)があります。素晴(すば)らしい音色(ねいろ)(かな)でるこの楽器(がっき)(とお)して、その(せい)作者(さくしゃ)(たた)えているように、素晴(すば)らしい人間の存在(そんざい)(とお)して、(かみ)さまをほめたたえるのです。人間は(かみ)さまを礼拝(れいはい)するために(つく)られて存在(そんざい)しています。教会(きょうかい)礼拝(れいはい)を守りましょう。

人間は、(かみ)さまのことばを聞いて答えることができます。それは聖書(せいしょ)に書いてある以下の事実(じじつ)です。

人間が自分勝手(かって)罪深(つみぶか)間違(まちが)った生き方をして(ほろ)びに()かっていること。しかし、(かみ)さまがその悲惨(ひさん)な生き方から(すく)い出すために、ひとり子のイエス・キリストを人として十字架(じゅうじか)につけてくださったこと。キリストの死とよみがえりを信じるなら、その者は罪赦(つみゆる)されて、新しい(かみ)のかたちにふさわしく生きることができること。

いかなる人であっても(かみ)さまのかたちは(けっ)して(うしな)われてはいません。あなたが(かみ)さまに(つく)られたことが、何より(かみ)さまからの祝福(しゅくふく)なのです。

(ひかり)が、やみの中から(かがや)き出よ」と言われた(かみ)は、私たちの心を()らし、キリストの御顔(みかお)にある(かみ)栄光(えいこう)を知る知識(ちしき)(かがや)かせてくださったのです。私たちは、この(たから)を、(つち)(うつわ)の中に入れているのです。それは、この(はか)り知れない力が(かみ)のものであって、私たちから出たものでないことが(あき)らかにされるためです。                                     (コリント人への手紙第二4:6-7)

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