サムエル記第一17章1-11節より
2023年6月25日
<聖書>
ペリシテ人は戦いのために軍隊を召集した。彼らはユダのソコに集まり、ソコとアゼカとの間にあるエフェス・ダミムに陣を敷いた。サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした。ペリシテ人は向こう側の山の上に、イスラエル人はこちら側の山の上に、谷を隔てて相対した。ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。よろいの重さは青銅で五千シェケル。足には青銅のすね当て、背中には青銅の投げ槍。槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は、鉄で六百シェケル。盾持ちが彼の先を歩いていた。ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」そのペリシテ人はまた言った。「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう。」サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。
(サムエル記第一17章1-11節)
<説教>
イスラエル人は宿敵ぺリシテ人との戦いに苦しんでいました。谷をはさんでお互いに緊迫状態でした。そこでぺリシテからは3メートルもある巨人でベテランの戦士ゴリヤテがイスラエルに一対一の戦いを申し出ます。イスラエル人はゴリヤテの巨体や武器を見て、恐れて戦う勇気を失ってしまいます。そんな時、8人兄弟の末っ子の若い羊飼いダビデがゴリヤテを石一つで打ち殺したのです。
戦士でもない若い羊飼いダビデがなぜゴリヤテに勝利したのでしょうか。
① ダビデは恐れに支配されなかった
ゴリヤテは自分の巨体と武器を見せつけて、おどし文句を言ってイスラエル人を恐れさせました。戦う時に恐れは最大の敵です。多くの場合、戦う前の心理戦で勝敗は決定します。
聖書に中に「恐れるな」という命令は約365回出ています。それだけ人は恐れてしまうものなのです。
しかし、ダビデはゴリヤテを自分と比較せずに全能の神さまと比較したのです。すべてを支配される神さまと比べたらゴリヤテは取るに足りない小さい者です。
見える状況ではなく神さまに信頼するとき信仰と大胆さが与えられます。
② ダビデは普段の生活の中で神さまに仕えていた
ダビデは普段から神さまと共に羊飼いの仕事に仕えていました。羊をライオンや熊に襲われたときも、神さまが共におられ信仰と勇気により戦っていました。
ダビデは、普段からみことばを想いめぐらし、祈り、賛美して神さまと共にいました。
ダビデはいきなりゴリヤテに勝利したのではありません。ダビデはどんな時も神さまに仕えて、信仰と勇気が与えられ、普段の生活の中で訓練され下地が作られていたのです。
羊飼いは決してきれいな仕事では、末っ子のダビデは父からまったく注目されていませんでした。しかし、神さまのご計画は誰も知らないところで準備されていました。目立たない普段の何気ないところでの神さまとの関わりがやがて、目に見える形となって現されるのです。
③ ダビデは神さまが勝利を与えてくださることを知っていた
ダビデは勝利の秘訣を知ってしました。神さまに忠実であるなら、あとは神さまが必ず助けて導いてくださいます。
ダビデはたった一つの石で巨人ゴリヤテを打ち倒しました。しかしダビデの本当の武器は万軍の主の御名(生けて働かれる神の力)です。すべての戦いに勝利をもたらすのは万軍の主の御名です。神さまご自身が戦いに出て挑まれるのです。
石とはメシヤ(キリスト)の象徴です。この石(キリスト)が巨人(悪魔)を打ち倒すのです。
悪魔はキリストの十字架の死とよみがえりにより、完全に打ち倒されました。私たちがイエス様の御名で祈り、みことばを信じて従う時、悪魔は何も手を出すことは出来ません。
私たちの戦いとは、剣や盾によるのではなく、人間の内にあります。罪に対して神のことばと信仰によって戦いに勝利できるのです。
ダビデの勝利によって、イスラエルに神さまがおられることをすべての国に知らしめました。
今もキリスト者は信仰によって罪に勝利して、世にイエス・キリストを証するのです。
なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。
イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
(ヨハネの手紙第一5:4-5)