マタイの福音書4章1-11節より
2024年3月10日
<聖書>
さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
(マタイの福音書4章1-11節)
<説教>
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
(マタイの福音書4:8-9)
この世の栄華とは、この世界のきらびやかさ、華やかさに隠されている人間の堕落した欲望です。それは刺激的であり、人をひきつけます。
そういったものは外側だけのものであり、人間のたましいの深い部分まで満たすことができません。必ず虚しさが待っています。その先にあるのは永遠の滅び、死です。
それは人間が悪魔に誘惑されて神から離れた結果、この世は今、悪魔が支配しているからです。
私たちは神からの者であり、世全体は悪い者の支配下にあることを知っています。
(ヨハネの手紙第一5:19)
しかし、この世界はすべて、神さまが造られたものです。聖書に次のようにあります。
初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)
天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。
(コロサイ人への手紙1:16)
この罪に堕落した人間、すべての被造物、この世界のすべてを新しく造り変えるため、贖われるために十字架に架かるために、イエス様はこの世に来て下さいました。
この悪魔の誘惑は、イエス様に十字架の苦しみを通らずに、今すぐこの世界を自分のものにしなさいという誘惑です。そのために悪魔にひれ伏して、拝むだけでいいというのです。
これこそが最大の罪だと、神のことば、聖書は言います。
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。あなたは、あなたの神、【主】の御名を、みだりに唱えてはならない。【主】は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
(出エジプト記20:3-7)
そして神であるイエス・キリストは、ご自分を神としたことで十字架刑に処せられたのです。
そして、悪魔は、すべての人間を誘惑して、この世を愛して、神から離れさせようとしているのです。
神さまを信じて神さまに従って生きるということは、この世で生きている間だけのことではありません。恐るべき滅びから救われて、永遠のいのちを与えられて、神の御国に入ることです。
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。
(ヨハネの手紙第一2;17)
聖書の神、キリストの父なる神さまは唯一の神であり、この天地を創造され、この世を罪から贖われ、救い主キリストを世に遣わしてくださいました。
すべての栄光はこの神さまにのみ現されます。
人間は神を礼拝するために、神さまに似せて造られた存在なのです。
そこにだけ、まことの平安と愛といのちがあります。
聖書は一貫して、罪の世にすべてを捧げて生き続けてはいけない、罪を悔い改めて、キリストを救い主として信じて、神を礼拝する生き方を選び取るようにと警告しています。