ラジオ体操と宿題の思い出
〜朝ご飯を食べに帰るより〜
朝6時15~20分ごろ、通りを見ると小学生がラジオ体操に出かけるのを見かけます。朝が早く、まだ幾分涼しい時間帯なので、皆清々しい気持ちで会場に急いでいます。見ていると時々子供たちと一緒にお父さん、お母さん方が行くのを見かけます。「思えば、私も子供達が小学生の時は、一緒にラジオ体操に行っていたな~。」と懐かしく思い出しました。
当時は、6年生は全員前に横一列に並んで立ち、1年生から5年生までは各学年2列縦隊に整列して、ラジオの声に合わせて、いち、に、さん、し、と元気よくラジオ体操を行いました。体操が終わると子供達はラジオ体操カードに印鑑を押してもらうために一列に並んで順番を待ちます。そして、印鑑を押してもらうとそれぞれがそそくさと帰途につきます。それを見ると、今の子供たちは忙しいんだなと思います。
私自身が小学生の時は、ラジオ体操に行くのが楽しみで、毎朝6時前に起きて6時過ぎには会場の小学校について、早く来た友達と缶けりや鬼ごっこなどして遊びました。6時半が近づくと子供だけでなく沢山近所の大人たちも駆けつけてきて、みんなでラジオの放送に合わせてラジオ体操を行いました。
ラジオ体操が終わっても、今の子供たちの様に急いで家に帰ることはありません。そのまま残って遊びの続きを始めます。私たちは遊びに夢中であまり気付いていませんでしたが、当時もたぶんそのまま帰る子供たちも少なからずいたとは思います。私の兄や弟は真面目だったのでそうしていたと思います。
実は小学校から8時から10時までは宅習時間として友達の家に遊びに行かないように言われていたこともあり、みな家に帰って朝食を食べ、朝の涼しい内に夏休みの宿題をやっていたのでしょう。
しかし、勉強の嫌いな私たちは、残ってみんなで遊び続けました。日が昇って熱くなっても遊びに夢中になっているので、暑さは感じません。もちろん朝ごはんを抜きになりますが朝ご飯を食べに帰るより遊びたい思いの方が勝つのです。そして、昼前までたっぷり遊んだあと、やっと昼食を食べるために家に帰るという具合でした。
もちろん宿題は溜まっていったので、夏休みの後半は母にラジオ体操に行くのを禁じられて、手つかずで溜まった宿題をやらされました。夏休みの前半にたっぷり遊んだ分、後半は昼過ぎても外に遊びに行けないで、宿題の山と奮闘する日々でした。
私は机に座って勉強したり本を読んだりがめっぽう苦手で、外で羽を伸ばし活動することに幸せを感じました。
そんな私でしたが、クリスチャンになった時自分でも理解できないほど、聖書をはじめ様々な本を読みたくなりました。バスの中で吊革につかまったまま本を読んだり、自分で車を運転中も信号待ちのわずかな時間をも惜しんで本を読みました。
小遣いはみんな本代で消えました。いったいどうしてしまったんだろう。何だか自分が違う人になったみたいだと感じました。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。Ⅱコリント5:17
創造主なる神様に作られた私たちが、神様を信じないで人生の目的を失って生きている時、何のために生きるのか、何のために勉強し、何のために努力するのか分からないで、全てが行き当たりばったりだったのが、神様を信じた時、自分の生きる意義が分かり始め、それをさらに追及しようと様々な本を読みたくなったのだと思います。
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。箴言9:10
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