魂は見ている
〜科学で証明できないが……〜
「魂は見ている」なんて、今回は何とも奇妙な題になってしまいましたが、分かち合いたいことは例え人が心肺停止で、昏睡状態になっているとしても、意外と本人には見えていたり、分かっていたりすることがあるのではないかということです。
実は先日、アメリカの神経外科医で世界的権威のエベン・アレグサンダー師の体験をネットで見ました。
エべン師は心肺停止状態で運ばれてきた多くの患者の手術を体験しておられました。その中には、意識不明の重体から奇跡的に回復する人もいました。そして、それらの人々の中には、臨死体験を話す患者がいたり、自分の手術の様子を傍から見ており、克明に説明できる全盲患者がいたりしましたが、それでも科学で証明できないことについては完全否定しておられました。
それが、2008年11月10日エべン師ご自身が細菌性髄膜炎で、意識不明の重体に陥りました。それから、意識が回復しないまま1週間が過ぎようとしていました。彼の友人で彼の主治医であったスコット医師から、抗生剤の打ち切りのタイムリミットが12時間後に迫っていることが告げられ、家族がお別れの為に集まって祈っていました。
しかし、彼のように大腸菌が脳に入って髄膜炎になった人の生還例はなかったにもかかわらず、タイムリミットを前に11月16日彼は奇蹟的に全く後遺症もなく意識を回復したのです。 そして、不思議なことに彼の意識が回復する数時間も前に、彼の周りに集まって祈ってくれていた、スコット医師、妻シルビアとその友人、彼の妹、彼の次男の5人の姿をはっきり認識していたのです。
脳外科医であった彼は退院後、自分が脳機能停止で昏睡状態であった時の脳のデータを徹底的に調べました。最初、幻覚を疑いましたが、彼の大脳皮質は完全に腫れ上がっていて機能していませんでした。また、脳幹で幻覚を見ることが間々あるそうですが、それでは彼が見たように鮮明な映像を見ることはできません。
また、彼が5人の姿を見た時の状況は、目は閉じていて、視覚・聴覚は全く機能していませんでした。それで彼は、記憶は脳によるものだけではないと結論付けました。私はこれを魂で見ていると表現します。つまり、意識がないからとか昏睡状態になったからと言っても、魂は生きて見ており聞いています。冷たい言葉を吐いたり、酷く扱ったりすると魂は傷つくのです。
私の母は長年認知症で、傍目には何にもわからないように見えていました。勿論会話もできないし、私たちが誰かもはっきり認識しているようには見えませんでした。それでも魂で見、魂で聞いて分かっているように接しました。
何にも分からない母を毎週礼拝に連れて来て、出席させました。教会員も良い方々で、何にも反応しない母に優しく語り掛けたり、手を握って笑いかけてくれたりと、優しく接してくれました。
妻も、読めるかどうかも分からないのに、母のベッドの周りに「お母さん。96歳お誕生日おめでとうございます。」などの優しい言葉を幾つも書いて貼ってくれました。
母は残念ながら6月末に亡くなりましたが、妻が先日「礼拝賛美の中で母が天国にいる幻を見た。」と言って教えてくれました。私は母が認知症で何にもわからないように見えても、魂は働いていて、全て分かっていたのではないかと思っています。
昏睡状態でも、認知症で何も分からない様に見えても、魂は生きて働いていると思って大切に接することをお勧めしたいと思い書かせて戴きました。
私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。詩篇16:8~9
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