クリスマスの意味

公開済み 12月 20, 2015 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜神の愛の捧げもの、偉大なプレゼント〜

いよいよクリスマス。この時期になると毎年商店街はクリスマス一色に染まります。そして、いたるところからクリスマスソングが流れてきます。しかし、そのほとんどがサンタクロースに関するもの。日本では、クリスマス=サンタクロースのイメージが定着してきているようで残念です。

先日聞いたイギリスでのクリスマスに関する街頭インタビューでは、クリスマス=プレゼントで、サンタクロースからのプレゼントというより、お互いに贈り物を交換し合うとの考えが多く、そこではサンタクロースのイメージが比較的薄いことに驚きました。

ここで皆さんにしっかり知っていただきたいのは、クリスマス=キリスト・ミサであって、キリストの誕生をお祝いする日です。わたしは主役そっちのけでのクリスマスが各地で行われていることにいささか寂しさを感じています。

 

それではなぜキリストの誕生がそこまでおめでたいのか。なぜ今、目の前にいないお方を世界中で祝うのかを考えて見たいと思います。

世界では国と国、民族と民族等の悲惨な戦争や紛争がやむことはありません。また、身近な社会の中でも分裂・分派・妬み・憎しみ・いじめ・騙し合い・裁き合いが絶えることはありません。

なぜ、この世界はそのような悪が横行するのでしょうか。それは私たちすべての人の内にある罪の根に問題があるのです。たとえ犯罪は犯していなくても、私たちすべての人の内には、罪を行う性質があるのです。多少の差はあっても誰にでも、周りの環境によっては犯罪を犯してしまう危険性があります。聖書はそれを肉の行いと言っています。

肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。ガラテヤ5:19~21

 

聖書によると誰一人、自分の行いによって天国に行ける人はありません。また、この世から完全に争いをなくすこともできません。

そこで、唯一の神様が私たちの救いのために、また平和の構築のために、神のみ子を人としてこの世界に送ってくださったのです。それが、クリスマスの出来事です。

すべての罪の問題の解決のために、イエス様は来てくださり、私たちの罪を全て十字架で精算してくださったのです。そして、自分の罪を悔い改めて、救い主を信じる者に天国への道を開いてくださったのです。

私たち人類は平和のために様々な努力をしてきました。しかし、それは骨折した足にシップを貼るようなもので、根本的な問題の解決にはなってはいません。世界平和のためには私たちの内側にある罪の問題が解決される必要があるのです。

また、救い主イエス様は内なる罪によって天国に行けなくなっていた私たちが、天国への希望に生きられるように、救いの道を同時に開いてくださったのです。イエス様は私たちを愛し、私たちの罪を解決するために、十字架で身代わりになって死ぬために生まれて来られたのです。

イエス様は、弟子たちにはっきり「自分は罪の解決の為、また皆の罪の精算をする為、長老や律法学者らに捕らえられ殺されます。しかし、そのことが罪に苦しむ人類にとって益になるのです。」告げられました。

この神の愛の捧げもの、偉大なプレゼントを喜ぶのがクリスマスの出来事です。

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。ヨハネ3:16~17

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