人々の魂の救いのために立ち上がろう
〜人には理解できないものですが、幼い子供でも受け入れられるもの〜
私たちクリスチャンは天地を造られ、すべてを支配している神様がおられることを体験し、日々祈ることで恵みをいただいております。
私はクリスチャンになる前と後では、まるっきり人生が変わりました。問題があっても依り頼むお方がおられ、祈ることができるようになったので、以前みたいに悩んだり、苦しんだりすることはかなり少なくなりました。
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。ヨシュア1:9
私たちはこのみ言葉が真実であることを幾度も体験してきました。また、天国への約束が与えられているので、死への恐れもなくなりました。
しかし、私たちはこのように生きて働かれる素晴らしい神の恵みを体験しているにもかかわらず、人々にこの素晴らしさを伝えることにいつも躊躇してきました。
それは、この救いの出来事がこの世の知識ではいかにも愚かな不合理な出来事によって成り立っており、知恵によって納得したのではなく、ただ聖書を神の言葉として信じた結果与えられたものだからです。
残念ながら、神の出来事、霊的な話は時間と空間を超える神の次元の出来事なので、3次元の世界に住み、この世の現実しか知らない私たちにはいかにも愚かなことに思えるのです。
それで、救いの福音を語ることによって、嘲笑われたりバカにされたりすることを恐れ、語ることを躊躇するようになるです。
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」Ⅰコリント1:18~19
神が滅びに向かう人々の救いのために、人となってきてくださり、すべての人の身代わりとなって十字架で罪を負って死んでくださり、私たちが知って犯した罪、知らずに犯した全ての罪を精算してくださいました。
神はその出来事を信じて、喜んで受け入れる者に救いの恵みを施してくださると約束しておられます。
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。Ⅱコリント5:21
やはり、これらの出来事を人々に理解してもらうのはかなり難しく、かえって馬鹿にされかねません。しかし、神様は知識のない人でも幼い子供でも救いの恵みに与れるように、ただ信じる人を救うこととされたのです。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。Ⅰコリント1:21~22
救いの福音は人には理解できないものですが、神は信じる者を救われ、恵みを施し、永遠の命を与えられるのです。それはあたかも、テレビの仕組みがわからなくても、ただスイッチを入れるだけで遠方から送られてくる番組を楽しめるようなものなのです。
救いの福音は賢く伝えるのではなく、泥臭く伝えるものだと肝に銘じたいと思います。
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