MRA:道徳再武装運動
〜誰が良いか、誰が悪いかではなく……〜
先日報道特集を見ていたら、第2次世界大戦後に起きたMRA(Moral Re-Armament)という聞きなれない活動について紹介されていました。この活動団体はメソジストのブックマンという牧師が始められた団体で、スイスに本部を置いて和解と融和をテーマに世界的な幅広い活動を展開していたことが分かりました。
日本も終戦後、このMRAの資金援助によって、大企業のトップや政治家などが招かれ世界中を回り、様々な体験を通して和解についての学びをしてこられました。
終戦直後、敵国であったアメリカに招かれた時も、旧知の友人を迎えるような歓迎ぶりに驚き、和解のすばらしさを体験されました。また、ヨーロッパでは戦争で争ったドイツとフランスがMRAの仲裁により和解が成されるのを、感動をもって見て帰ることができました。
私がこの素晴らしい働きを聞きながら感動したのは、「誰が良いか、誰が悪いかではなく、何がよいかが重要である」との考え方です。私たちはすぐ善悪で判断して、悪を糾弾しようとしてしまいます。それで争いの終結を難しくしていることもままあると思います。
そこで、大切なことは今この状況で、どのように行動することが良いことなのかを考える習慣をつけることが大切だと思うのです。もっとクリスチャン的に言うならば、何が御心で神に喜ばれる対応なのかを判断し行動することが重要なのです。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。ローマ12:2
イエス様は妬みによってご自分を十字架につけた人々のために、十字架の上から「父よ。彼らを赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」と敵のために執り成しの祈りをされました。この祈りはイエス様を十字架につけた人達だけでなく、私たちの罪のためにも執り成されたのです。
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。マタイ5:43~44
ただ、神様は罪をうやむやになさる方ではありません。あなたが裁き、糾弾しなくても神様は罪を必ず裁かれるのです。ですから、さばきは神にゆだねるべきです。神様はさらに一歩進んで、私たちが罪を犯した人の悔い改めのために執り成す祈りができるように願っておられます。
神様は私たちが人のためにする労苦を知っておられ、必ずそれに応えて祝福してくださいます。あなたが愛の対応をするなら、神はあなたに愛を注ぎ、恵みをもって応えてくださいます。神様はただ見ておられるだけのお方ではなく、具体的に生活に関わってくださるお方です。神を体験的に知ることが大切です。
それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。マタイ7:12~14
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