人は死んでどこに行くの?
~これであなたも天国に行ける~
子供たちの大きな疑問の一つに“人は死んだらどこに行くのか” というのがあります。 身近な人の死に触れたらなおさらですが、これは聞いてはいけない質問の部類に入ります。
私が小学4年生のころだったと思います。近所の2年生の女の子が突然亡くなりました。数日前まで元気だった子供が、急に体調を崩して死んでしまったのです。
お葬式が終わり、人々が長い棒の先に布切れをぶら下げて1列になってお墓のほうに歩いていくのが見えました。お墓の所々に、船の絵を描いた小さなお家の形をしたお墓がありました。そして、それには必ず「先島丸」と書かれていました。
これは私が島に住んでいたころの出来事で、「先島丸」から想像するに、当時の人たちは死んだら先の島に生まれて、またそこで新しい人生を生きられたらと願っていたからではないかと思われます。
私も若いころは死についてはあまり深く考えないようにして生きていました。しかし、死の現実を無視することはできません。死はすべての人が100%体験する出来事で、みな1日1日確実に死に向かって生きているのです。それで、人は人生の終着駅である死の事実を真剣にとらえられて、初めて有意義な生き方が可能になるのではないかと思います。
私たちは親しい人が亡くなると、「やがて天国で会う時が来るからその時までのしばしのお別れだね」と言って慰めようとします。私たちの意識の中には、死んだらすべてが消えてなくなるという思いと、死んで天国に行くという両方の思いが交錯しているように思います。
しかし、人に不思議なことに天国の意識はあっても、地獄の意識はあまりないのです。多くの人が死んだら自動的に天国に行くか、あるいは消えてなくなるかのどちらかだと思って生活しています。
しかし、これはあくまでも自分に都合の良い勝手な解釈で、それに確たる根拠はありません。聖書には死後について「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」とあり、人は死んだら皆神の前に立ち、その人の生前の行いに対しての裁き(裁判)が行われると教えます。
そして、その基準は厳しく、盗みや殺人は言うまでもなく、嘘をついても、他の人を非難しても、憎んでも、うらやんでも全て有罪で、地獄だと言っています。
すべての人が罪の下にあると責めたのです。それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」ローマ3:9~12
しかし、神はそのような私達の救いのために神のひとり子を送ってくださいました。その救い主が身代わりに罰を受け、私達の全ての罪を精算してくださることによって、人に救いの道を開いてくださったのです。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16
今や、すべての人は自分の行いによってではなく、自分の罪を悔い改め、救い主を信じる信仰よって天国への約束が与えられるのです。私はこのみ言葉を受け入れたときから、死に対する不安や怖れが完全になくなりました。あなたにもこの恵みを体験して頂きたいのです。
しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。ヘブル9:26b~28
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