K姉 信仰のあかし:見つけた平安

公開済み 7月 23, 2017 by 管理人 in アドナイ・エレ

~あなたは高価で貴い~

作:鹿児島リバイバルチャーチ教会員 K姉

私は大学生の時、自閉症児の療育活動を目的としたサークルに入っていました。その頃自宅の前で子どもたちがキリスト教の集会案内のチラシを配っていました。その中にその療育活動で顔見知りの子がいたこともあり、その集会に気楽に行ってみることにしました。その集会は教会ではなく公民館を借りて会場としていました。それから誘われるままに続けて礼拝に出席するようになりました。聖書の話の内容はほとんど頭に入ってこなかったのですが、みなさんが優しく声をかけて下さるのでとても居心地よく感じて通っていたように思います。それがやがて喜入に移転する現在の教会の前身でした。

私の両親はとても忙しかったため、なおさら、教会で過ごす穏やかな時間に温かさを感じたのだと思います。また大学で仲良くなった友達がクリスチャンだったので、信仰の話を聞くことができました。その他にも私のために祈って下さった方々がいらしたことを知り、心から感謝しました。少しずついろいろな御言葉に触れる中で私もクリスチャンになりたいという強い思いが湧いてきて洗礼を受けさせて頂きました。

アメリカの牧師でマックス・ルケードという方が書かれた「大切なきみ」という本があります。それは、エリという彫刻家が作った木彫りの小人たちの話です。みんないろいろな姿形をしていましたが、毎日お互いにシールをつけあってばかりいました。見た目がよかったり、特別なことができたりするとお星さまシールを貼ってもらえて、木彫りの絵の具がはがれていたり、ぶきっちょだったりすると、醜いダメじるしをくっつけられてしまいます。主人公のパンチネロはいつも何をやっても失敗ばかりで、ダメじるしを付けられていました。

ある時、パンチネロはシールが一つもついていないルシアという女の子に会い、「どうして何にもついてないの?」と聞くと、ルシアは「毎日彫刻家のエリに会いに行ってお話するの」と答えました。パンチネロはルシアの話を聞き、エリに会いに行ってみることにします。

このお話の彫刻家は創造主なる神様、パンチネロは自分の弱さに嫌気がさして神様に目を向けようとしている人、シールをつけあっている人形たちは人を見た目だけで判断し合っている人間を表しています。エリと会い話をするというのは神様に祈ることを表しています。

私はパンチネロの気持ちにとても共感します。いろいろやってはみるのですが、これといって自信の持てるものはなく、自分にがっかりすることが多いです。でも多かれ少なかれこのような気持ちを持たれる方がいらっしゃるのではと思います。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4

この御言葉は私にとって本当に励ましです。創り主なる神様が本当に私にそう言って下さっていると信じるとき、とても力を頂きます。今日も命が与えられ、生かされていることを肯定的にとらえ、心から感謝することができます。神様の憐れみと支え、励ましがあったからこそ、主人や姑とともに三人の子どもを育てながら家庭を守ってくることができたのだと思います。また、

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28

という御言葉も多くの方が励ましや平安を感じられる箇所ではないかと思います。

さて、パンチネロがエリに会いに行くと、エリはどの人形も大切で、その全てをありのままの姿で愛しているとパンチネロに語ります。その言葉を聞いた帰り道に、パンチネロの体から一枚のシールがはがれ落ちたのでした。

物質的にはとても豊かになった日本にあって、抱えている疲れや重荷を安心して託すことができる方であり、一方的な愛と憐れみによって守り支えて下さる神様、十字架上で救いの道を開いて下さったイエス様を一人でも多くの方が信じることができるように心からお祈りいたします。

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