実体験は力

公開済み 9月 10, 2017 by 管理人 in アドナイ・エレ

~痛みを分って下さる主~

今まで、沢山の方々をお見舞いする為に、病院を訪れてきました。入院されている方々の痛みを覚え、できるだけ同じ思いで慰め、励まし、お祈りをさせて頂いてきたつもりでおりました。

そして、時には自分も入院して、ゆっくり聖書を読んだり、本を読んだりして休みたいと思わないこともありませんでした。それが先日思いもかけず、突然の入院命令。人生で初めての病気入院を体験する羽目になりました。

最初は個室に入りました。ベッドの前にテレビがあり、洗面台、トイレ、お風呂等がついていて、ホテルみたいだなと思い、腹を決めてここでしばらくゆっくりするのも悪くないなと思いました。しかし、その思いはすぐ無残に砕かれる結果となりました。看護婦さんが来られて鼻に酸素吸入の管、手には点滴の管を付けられ、しばらくはベッドの上で生活をするよう宣告されました。

排便の時は、毎回看護婦さんを呼んで、小はベッドの上で渡されたガラス便器に、大はポータブルトイレをベッド横にセットして頂いて、そこでしないといけません。お風呂ももちろん入ることはできず、看護婦さんがバケツにお湯を汲んでこられて、それでタオルを絞って渡されます。 そこでベッド上で顔を拭き、胸から腹にかけて拭くと、看護婦さんがタオルを洗ってくれて、背中を拭いてくれます。それから、またタオルを洗ってくれて、それで下半身を拭くように言われ、看護婦さんは向こう側を向きます。なんだか落ち着かずそそくさと拭き終えてタオルを渡します。また、物が2重に見えるので、テレビも本もまともに見られません。初日で、ホテル気分などぶっ飛んでしまいました。

最初の頃は24時間点滴で、子犬が常に鎖に繋がれているような気持ちで不自由を感じました。しかし、病院には半日だけ点滴をして、後は自由に動ける人たちがいました。私も早くそうなりたいと願いました。そして、2週間経ったある日、4人部屋に移され、私にも24時間の点滴から解放される時が来ました。

午前中の点滴が午後1~2時ごろ終わると、点滴の管が外され、自由に病院を歩き回れます。鎖を解かれた子犬のように解放された気分になりました。しかし、次の日から朝毎に腕の血管を探して点滴の針を刺されます。私の場合は血管がよく表れていたので、左右の腕の血管に交互に刺していただきましたが、毎日痛い思いをしました。私と同室の方は血管が見えにくくて、最後は手の甲に刺されていました。手の甲はとても痛いと言っておられました。

ホテル気分で入院生活なんてとんでもない。入院して初めて、入院しておられる方々の真の痛みを知りました。私のしてきた今迄のお見舞いは、入院患者の生活のほんの一部分だけに触れて、痛みを共有してきたかのように思っていたことを痛感させられました。この体験を通して、初めて痛みを知ることができて、真の慰めや励ましを与えることができると思います。

神の御子イエス様が神の栄光を捨てて、人となって生まれてこられたのは、実際この地で生活することにより、私たちの痛みや苦しみをつぶさに見て、私たちの悩みや訴えの祈りに真摯に答えるためであったと言っています。

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。へブル4:15~16

自分の痛み苦しみを素直に神なるイエス様に吐き出して見られたら、体験者なる主は私たちの痛みを知った上で、真の愛を実践してくださると思います。

そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。へブル2:17~18

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