悔いのない生き方

公開済み 2月 17, 2019 by 管理人 in アドナイ・エレ

あなたの創造者を覚えよ

先日Oさんの告別式をさせていただきました。私と礼拝後に毎回固い握手をして帰られるOさんの後ろ姿や、奥様と一緒に教会の裏庭の草刈りをしてくださっているOさんの作業着姿が強く印象に残っています。

Oさんが脳出血で緊急入院されたことを伺い、明くる日に搬送先の病院に駆けつけました。親族以外は入室禁止でしたが、特別許可をいただき面会させていただきました。酸素吸入器は着けておられましたが顔色はとても良く、外見上は普段と全く変わらない様子に見えました。

お祈りをさせていただき、彼が躊躇していた病床洗礼を授けさせていただいて、1日も早く健康を回復し元気なお姿でお会いできることを切望して帰途に就きました。しかし、残念ながらその二日後には愛する彼の訃報に接することになってしまいました。

つい先日も、あんなに元気に固い握手をして、教会でお別れした彼とのこの世での別れが、こんなに早く訪れるとは夢にも思っていませんでした。

彼の地元で行われた葬儀には彼の親戚の方々を始め、同級生や地域の方々などたくさんの方々が集まってくださり、彼との突然の別離を悲しんでおられました。

私は葬儀の中で、彼を襲ったこの死の現実はやがて私にも、また集われたすべての方々にも必ず訪れる現実であり、だれ一人逃れることのできない事実であることを自覚する必要があるとお話しさせていただきました。

聖書には「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、・・・」(ヘブル9:27)とあります。

私たちの肉体はいくら健康に気を付け、長生きを願ってもいつかは朽ちていくものです。しかし、私たちの霊と魂は肉体のように朽ちていくことはありません。臨死体験をされた方から自分の魂が肉体から離れ、肉体の外から自分のからだを眺めていたという証言を聞いたことがあります。

三浦綾子さんの書かれた小説に塩狩峠と言うのがあります。あれは実際に起きた出来事を小説にしたものであり、あの中に主人公のお父様が亡くなられたときの遺書が出てまいります。

そして、そこには「私があなた方に成したこと、また話したことの一つ一つが私の遺言だと思ってほしい。わたしはそのようなつもりで生きてきたから」というくだりがありますが、あのような確かな生き方が出来るのは、クリスチャンであるお父様が、創造主なる神様の存在を信じ、1日1日を神の前に真実に正直に生きてこられたゆえであると思います。

また、紀元前中東に、ソロモン王という偉大な王様がいました。彼は「栄華を極めた」と言われ、彼の時代、銀は値打ちがなかったとまで言われています。

彼は真の幸せを実感するために、莫大な財力を用いて贅沢の限りを尽くし、また、絶大な権力によって、人々を支配し、快楽の限りを尽くしたと言っています。しかし、それらのすべてが「空しく風を捉えるようなものだった」と述懐しています。

彼が長い探求の後に達した結論を伝道者の書に次のように書き記しています。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。(伝道者12:1)

そして、次のように結んでいます。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れ、神の命令を守れ、これが人間にとってすべてである。神は善であれ悪であれ、すべて隠れたことについて、すべての業を裁かれるからだ。(伝道12:13~14)

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