「乳癌を体験して・・・エール(励まし)を送る編」 Ⅰ
乳がん患者さんへのエール 佐多多視子
・それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。詩篇139:13
・わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4a
・主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。鷲が巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。申命記32:10~11
このコーナーは最初は書く予定はありませんでしたが、H看護師から頂いたお手紙に、患者さんが「癌になったのは私が何か悪いことをしたからだろうか?」「生活習慣が良くなかったのかな?」「家が癌の家系だからかな?」と自分を責めておられるのに、うまい説明の言葉が見つからず、「患者さんと共に歩みたい」との思いをもって葛藤しておられる様子が書かれていました。
そのような中で《私が乳癌を体験してⅢ》で「折角こういう機会を与えられたのだから、感謝して楽しんで受診しよう」と書いてあったのを見てハッとさせられましたと書いてありました。クリスチャンである私の受け取り方に驚かれたのでしょう。
私が乳癌になったのは、私の『ねぎらいの時』と捉えています。上の聖句にあるように、私を母の胎の中で形造られた方、私を高価で貴いと言ってくださり、私を瞳のように守り愛してくださる方がおられて、私を生かしてくださっています。そして、私を造った目的があり、またあのブルーダイヤよりピンクダイヤより世界一大きい真珠なんかより高価で尊いと言ってくださっています。また、瞳のように守って下さるとは、少し強い風が吹いても瞼を閉じて瞳を守ろうとし、桜島の火山灰が降るとやはり瞼を閉じて瞳を守ろうとするぐらいに大切に思って下さっているという事です。
何度も手記に書いていますが、10年間重度の認知症の義母の介護をしました。母が認知症になったのは、母が何か悪いことをしたからとは思えません。継母に育てられ、甘えられないで成長し、結婚してから1歳数か月の幼子を連れ満州から引き揚げて来、その後ふたりの息子を生んで一生懸命3人を育ててきました。私は母が我が家に来た時、人生の重荷をここで降ろしていただこうと思いました。今は母の『ねぎらいの時』だと。
母の死後、介護疲れで主人がその後5年間いろいろな病気を発症いたしました。だからと言って、主人が何か特別に悪いことをしたからでしょうか。聡明だった実母が壊れていくのを見ているのは相当辛かったと思います。その時が主人の『ねぎらいの時』です。
やっと主人が健康を回復したと思ったら、私の癌が見つかりました。「3年以上前からあります」と言われました。これが主人の闘病中だったらどうなっていた事でしょう。今で良かったのです。これが私の『ねぎらいの時』の始まりです。私はやっとゆっくりできる。ゆっくりして良いんだと喜びました。神様がどんなことをして下さるのだろうかと思っていましたら、細かいところまで行き届いたスタッフの方々の気配りに驚かされ、手術の技術の高さに驚かされ、《術後のサポートプログラム》に驚かされ、(皆さん術後大変だと思いますが、それらに出席された方が断然良いです。)私はこれによって沢山のことを教えられました。
また、主人が良く家事をしてくれるようになり、入院中長男は病院を休んで2度も来鹿してくれ、海外出張の多い次男は、いつもはいつ電話したら良いのか分からない人なのですが、何度も電話をくれ、この声を何時間も聞いていたいと思い、3男の末っ子の甘えん坊が正月に帰鹿した時、「えっ、僕が保証人なの?」と驚きながらも保証人になってくれたりして、・・・皆ありがとう。
『ねぎらいの時』それは周りの方々があなたのために特別に時間を割き、あなたのために、あなたのことを深く思い、これまであなたがしていた事を代わりにしてくれ、あなたが元のように元気になるようにひたすら祈り、願う特別な時なのです。
私が再び生かされた最初の使命が《乳癌を体験して》を書くことでした。あなたのために書かせていただきました。
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