あなたの罪を雪のように白く
~久し振りの雪~
先日、朝起きて外を見ると雪が降っていて数年ぶりに薄っすらと積もった雪がお隣の駐車場一面を白くしていました。また、反対側の窓を開けてみると、教会駐車場も雪で真っ白になっており、その間にポツンポツンと赤いカラーコーンが立っているのが見えました。
登校する子供たちを見守るために沢山着込んで外に出ると、屋根の上や車の上も積もった雪で真っ白になっていて、久しぶりの積雪に感激しました。しかし、車道や歩道はすでに溶けてしまった部分も多く、ただ濡れているだけの所もありました。
子供たちが登校してくるのを待っていると、皆久しぶりの降雪に興奮し、嬉々として歩いたり走ったりしてきます。「走ったら危ないよ。滑るよ~。」と言っても聞きません。ひやひやしながら、挨拶して通り過ぎた後も、しばらく見つめています。
子供の中には、1~2センチ積もった雪を丁寧にそっと集めて雪玉を造り、私に向けて雪合戦のように投げかけてきたりしますが、投げた途端パっと広がって散ってゆき、玉になって飛んできません。
幾人かの子供達が、私が安全指導している後ろの方で、塀や道の脇にわずかに積もった雪を集めて雪ダルマにしようと苦心していますが、積もった雪の量があまりにも少なすぎてなかなかうまくいきません。
私が育った屋久島では、あられが降るのは偶に見られましたし、平地から高い山の上に白く積もった雪を眺めることはありましたが、実際に降っている雪を見られたのは高校生になって、鹿児島市に出て来てからでした。
実は、降雪の初体験時は灰が降っているのかと思いました。鹿児島市に来て降灰に悩まされていたこともあり、実際噴火の灰も白くてひらひら舞い落ちてくるものもあったからです。
しかし、降灰と違うのはその形状です。降灰は河口から噴き出したものだから鋭利な形をしていて、身体に触るとチクチクと痛く、とっても気持ち悪い代物です。傘を差してもお構いなく横からの風で襲ってきて頭も顔も、また洋服も灰色にしてしまいます。
一方、雪の結晶はどれもきれいな6角形の形状をしていて、その種類は121種類もあるそうです。それには樹枝状のものや扇形のものなどがあります。雪はもともと雲の中の水の分子たちが集まって六角柱の形をした氷の結晶になり、それが雲の中の水蒸気をたくさん吸って成長し雪に成って降ってきます。地表の温度が高い時は雨に変わって落ちてくるのですが、低くなると凍ったままひらひらと舞い落ちてきます。
灰が降った後は、家々も車も、畑も道路も汚い灰色一色に変わります。しかし、どんなに汚れて醜くなった屋根や壁も、道路や野原も、雪に一面覆われると、全て白く覆われ、太陽の光で美しく輝きます。
実は、私たちの心の中も、人を憎んだり、さばいたり、さげすんだり、いじわるしたり、嘘をついたり、喧嘩したりと産まれてからこれまでに犯した罪でどす黒く汚れてしまっています。
それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」ローマ3:10~12
しかし、神様は私たちの罪を清めるために救い主を送って下さって、罪を清算してくださいました。それを信じて受け取るだけで私たちの汚れた心が雪のように白くされるのです。罪の聖めは一方的な神の恵みなのです。
「さあ、来たれ。論じ合おう」と【主】は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」イザヤ1:18
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