財産、幾らあったら満足できる?

公開済み 5月 15, 2022 by 管理人 in アドナイ・エレ

~私たちは皆、 みな大大大富豪です ~

金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、虚しい。伝道者の書5:10

正しくその通りだと思います。何十億もの金を横領した等の詐欺事件や横領事件の報道をテレビで見ていて、妻と二人で「この人は、いくらあったら満足するんだろうね。」と言ったりしますが、人には幾らあっても、もっともっともっとと貪欲になって、どこまでも満足できない人がいると思います。

今から70年ほど前、私の小さい頃に住んでいた屋久島は、まだまだ僻地で電気も水道もありませんでした。電気は数年して使えるようになったように思いますが、水道は私が小学生の頃はまだなくて、母たちは近くの共同の井戸で、近所の奥さん方と楽しそうにおしゃべりをしながら、洗い物をしていました。

しかし、近所の共同井戸は海が近くて塩分を含んでいるので、飲み水としては使えず、飲み水は別に、私たちが小学校から帰ってから、近所の子供たちと一緒に小学校まで汲みに行っていました。それはそれで皆が日課としてやっていたので、そうするのが当たり前で、大変だと思ったことはありませんでした。

また当然、当時はエアコンや扇風機などもありません。火鉢やうちわがある程度です。しかし、どこもそれが普通だったので、暑いとか寒いとか、不平不満などいう事はありませんでした。

もっと前の世界では、王様だろうが殿様だろうが、どれほど権力を持っていても。エアコンや扇風機など見たことも使ったこともなかったのです。現在の私たちがどれほど恵まれた生活をしているか考えたら、不平不満など言う余地はありません。

また私の小学生当時、将来自分が自家用車を持つなんて想像すらできませんでした。道路は古ぼけたバスが時々走る程度で、馬の糞や牛の糞が落ちていました。そして、うっかり踏んでしまう事もよくありました。そんな時、近所のおじさんたちから「馬の糞を踏んだら足が速くなり、牛の糞を踏んだら遅くなる。」なんて、今思えばかなりいい加減なことを教えられていました。

また、島に電力会社ができた時、車での祝賀パレードがありました。その時全部で9台の車が連なって町を走りました。それを見た時みな興奮しました。それは、それまでこんなに多くの車が連なって走るのを見たことがなかったからです。

しかし当時は、ガソリンスタンド等はなく、車やオートバイへの給油はドラム缶にホースを突っ込んで口で吸って、口元までガソリンが来たときパッと離して給油口に入れていました。すると、あとは勝手にドラム缶から給油口に流れて入っていました。

給油しているおじさんに、「上手ですね。失敗とかしないんですか?」と聞くと、「するよ。口の中に油が入り込んでくることもあったよ。」と言っていました。

そういう時代のことを思ったら、今の生活なんて天国です。あの時代に今みたいな生活をしていたら、みな大大大富豪です。それなのに、人はもっともっともっとと豊かさを求めて、不満を漏らすのです。これは、必要ではなく貪欲です。貪欲はどこまで行っても人に満足を与えることはありません。

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。Ⅰテモテ6:6~10

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