クリスチャンってどんな人達

公開済み 5月 29, 2022 by 管理人 in アドナイ・エレ

~ 自分の罪を知る者 ~

先週は、教会に来られた人を無理やり信者にすることはなく、また信者でない人から無理やり献金を頂くことはしないことを話しました。

ただ、素晴らしいクリスチャンの先輩方の善い行いのおかげで、クリスチャンに対するイメージには、とても良いものがあり感謝しています。それゆえクリスチャンになりたいとおっしゃる方もおられます。

以前、このようなアンケートの結果を見たことがありました。「あなたは何かの宗教に入らなければならないとしたら、どの宗教に入りますか。」との質問に「キリスト教」と答えられた方が半数をはるかに超えていたという事でした。

それで、今回はどんな人がクリスチャンになれるのかをお話ししたいと思います。まず、最初にお伝えしたいのは、クリスチャンって決して立派な人がなるわけではありません。というより、私をはじめ世間で落ちこぼれた人や問題のある人の方が多いと思います。

救い主イエス様が来られた時、救いを受けた人々は、律法を守り、正しい歩みをしていると自負していたパリサイ人や律法学者ではなく、世間的に疎まれていた罪びとやローマの手先になってユダヤ人の同胞から税金を取って私腹を肥やしていた取税人たちでした。

すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」マタイ9:11~13

つまり、罪赦され、救われてクリスチャンになった人々は世間的に正しい人達ではなく、自分の罪に悩み苦しむ人々でした。光として来られたイエス様に接する時、自分の罪・汚れがあぶりだされて、その罪を自覚して赦しを願う者が罪の赦しの恵みをいただけたのです。

それは今も変わりません、自分の罪を自覚して苦しむ人がその解決をいただくために、救い主の元に来ます。すなわち、クリスチャンは立派な正しい人ではなく、自分の罪を自覚した人たちなのです。

しかし、人間の中で罪が全くない人はいません。一度も嘘をついたことがなく、憎んだり、裁いたり、争ったりしたことのない人は誰もいないのです。私たちの正しい人の基準は、他人との比較の上だったり、社会が正しく機能するために立てられた法律上だったりします。

イエス様が活動を始められた時の第1声は、「悔い改めなさい。神の国は近づいたから。」だったのです。自分の罪を知る者が始めて救いの必要性を知り、罪の赦しを求めて悔い改めるのです。そして、罪の赦しを受けた者は、その恵みに感謝し、新しい歩みを始めます。

それで、クリスチャンは正しい良い人たちだとの評判が立ったのだと思いますが、私を始め教会に来ているクリスチャンの多くは正しい歩みを求めながら、まだまだ成長途上の弱い者たちなのです。

兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。Ⅰコリント1:26~29

No Response to “クリスチャンってどんな人達”

Leave a Comment