真に幸せな人って誰?
~重荷を負って苦労している人を休ませてくださる方の存在~
先週は「真の幸せ」について礼拝でお話しさせていただきました。「正直者が馬鹿を見る」とか「馬鹿正直」、あるいは「生真面目」とかいう言葉もありますが、正直で真面目であることは決して悪いことではなく、正しい生き方であると思います。聖書でも「人々に愛を持って心から仕え、誠実でありなさい。自分のして欲しいことを他の人にしなさい。」と教えています。
しかし、残念ながらこの世ではそれは通用しないようです。多少の悪であったら処世術として受け入れないと、この世で成功することはできません。この世で権力を持ち人々の上に君臨している世界のリーダーたちは一筋縄ではいかない強者(つわもの)ばかりです。
近ごろのテレビニュースでも、旧統一教会と政治家との癒着が盛んに報じられており、また平和の祭典であり、たくさんの人々に感動を与えた東京オリンピックの背後でお金のやり取りが行われていたのではないかという贈収賄事件が盛んにテレビ等で取りざたされています。
4年に一度の世界のスポーツの祭典のオリンピック競技でも、お金儲けの対象にしてしまう残念な世の中です。そのように、汚いことをしてでも、お金を持ち、権力を持つ者が、自分の自由に周りを動かせるというこの世は理不尽な世界です。
そして、この世では強い者が正しいのです。先日の政治の討論番組で、ある方が「先の戦争を戦ったのが悪いのではない、負けたのが悪いんだ。」と言っておられましたが、決して極論ではないように思います。つまり、この世界は勝者が義であり敗者が悪なのです。
それでは、絶対的な権力をもって、豪邸に住み、贅沢な暮らしをして、沢山のしもべをもって、一生何不自由のない人生を送れる人が果たして幸せなのでしょうか。
先週の礼拝メッセージの聖書箇所には、次のような一文がありました。
悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからだ。伝道者8:11~13
神様がおられるのなら、なぜこんなことが許されるのでしょう。なぜ、この世界には罪がこんなに横行しているのでしょう。
それを聖書は、人々が創造主なる神様から離れてしまった結果であると言っています。神によって造られ、神によって生かされている人間が、神様から離れて、どれだけ贅沢して好き勝手な生活ができていても、決して幸せではないのです。
例えば、遊園地で迷子になった子供が、良い服を着て、買ってもらった大好きなオモチャとお菓子を手に持って、大好きな遊園地にいても、親が一緒にいなければ不安と恐れと、寂しさ等で幸せではありません。
それと一緒で、真の幸せは外見で測ることはできません。豪邸に住み、外車を乗り回し、高価な服を着、贅沢な生活ができていても、幸せとは全く関係ありません。幸せはもっと内面的なもので決まります。すなわち、心の内に愛や平安や喜び、そして希望があるならば、そういう外的なものに囲まれていなくても幸せなのです。
イエス様が来られたのは、私たちに真の幸せを与える為です。神を信じるなら迷子の子供を迎えに親が来た時の様に、不安や恐れや悲しみから解放され、平安と喜びが与えられ、そして天国への永遠への希望が与えられます。
神様に立ち返ることなくして、どんなに世的に成功しても、真の幸せは得られません。神様は私たちに幸福な人生を与えるために、神の御子イエス様を送られたのです。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28
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