恵みを受けたクリスチャンの優先順位
~ あの子はきっと受験を諦めてるのよ ~
前回は、小学生時代に教会前の交差点を通って通学していた子が高校野球の投手をしていたことを書かせていただきましたが、私も野球が大好きで、大学を卒業して入社した会社の入社式の前日にあった社会人の野球大会に、すでにチームの一員として出場していました。
会社の軟式野球部は熱心な人が多くて、毎朝6時半にグランドに集合して8時過ぎまで練習をし、そのあと会社のシャワー室で身体を洗って、野球のユニフォームからカッターシャツにネクタイ姿に着替えて、9時からの職場に出ていました。
私がクリスチャンになって、まだ間もないころの野球の試合でのこと、私の打席が回ってきました。私はここで一本出れば勝てると思い、信じたばかりの神様に「どうか、打たせてください。」と祈って打席に入りました。
そして、うまい具合に決定打が打てて勝利することができました。それで、「神様。祈りに答えて打たせてくれて有難うございました。」と感謝しました。そして、次の日の教会の祈祷会で、私が「野球の試合で、打席に立つ前に祈ったら、うまく打てました。」と喜んで報告したら、皆が神妙な顔で聞いていて、反応がありませんでした。それで、「あ~、こんなことで神様に祈ったらいけないのかな。」と思いました。
当時はまだバブルがはじける前だったので、社会人の野球大会は平日に行われていました。それで、勤務時間中でも試合の始まる前1時間ぐらいになると、職場の部長に「今から試合に行ってきますのでよろしくお願いします。」とお願いに行っていました。
ある時、部長にお願いに行くと「この忙しい時に仕事を放棄して試合に行くのかい?行くからには勝って来いよ。」と言って送り出されました。そして、球場に行き、試合が始まってふとベンチの上の観客席を見ると、そこに一人の人影が見えます。よく見ると部長です。部長も野球部OBなので、気になって職場を抜け出して見に来られたところでした。
私たちのチームは、どこよりもたくさん練習しているので、野球経験のない、どちらかというと野球センスのない人でも、3~4年もすると上手になっていました。そして、鹿児島市の野球大会で優勝するようなチームになりました。
しかし、やがてバブルがはじけて日本の社会全体が急激に景気が悪くなり、野球大会も平日から日曜・祝日に行われるように変わっていきました。
その頃は、私はチームの中心選手になっていて3番バッターでキャプテンをしていましたが、教会の日曜礼拝と野球の試合を両立できなくなりました。そして、クリスチャンであった私は礼拝を優先するために、大好きな野球を辞めました。
その判断に、全く後悔はありませんでした。この世の楽しみやこの世の栄光よりも、イエス様を信じる者として、礼拝を優先することがイエス様の愛と恵みによる救いに対する応答だと考えました。そして、その決断は神様からの祝福に繋がることを信じています。
以前、韓国のクリスチャンから次のような証しを聞きました。韓国は受験戦争が激しく教会に来ていた人も高校3年生になると、寸暇を惜しんで勉強に集中するために塾などに通い、皆教会に来なくなりました。そんな中、彼女一人だけはずっと続けて礼拝に出ていました。周りの人は、「あの子はきっと受験を諦めてるのよ。」とひそひそ話していました。しかし、いざ合格発表になると、彼女一人だけが難関国立大学に合格していたというのです。
私たちは自分の行いや能力によってではなく、一方的な神の選びと恵みによって救いが与えられました。それで、そのことの応答として神様を第1にするならば、必ず祝福されるのです。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。マタイ6:33
『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は仰せられる。ゼカリヤ4:6
No Response to “恵みを受けたクリスチャンの優先順位”