卒業式での思い出
~新しい世界への旅立ち~
先日、近くの中学校の卒業式がありました。今年の卒業生の中には何人も登校時に教会前に置いていた教会の週報を貰って読んでくれる人がいました。感謝!
中学の3年間、毎週週報のこのコーナーを読んでくれていた生徒たちが卒業して高校に進みます。この地域に高校がないので、皆朝早く電車で登校してしまうので、高校生になったらほぼみんなと会うことがなくなってしまいます。しかし、これからも是非、当教会のホームページから続けて読んでいただけたらと願っています。
さて、今週はいよいよ小学校での卒業式が行われます。これには、私も来賓として招待されているので、お別れに行きたいと思いますが、以前他の来賓と同じようにスーツ姿で参加させて頂いていたら、いつもの私の見守りの時の制服姿しか知らない子供たちが「あれ、今日のその姿はどうしたの?帽子はどうしたの?帽子は?」なんて、ちょっかいをかけられてしまいました。
それで、今では見守り時の制服・制帽姿で卒業式、入学式には参加させて頂いており、今年も緑のおじさん姿で参加させていただくつもりでおります。
さて、我が家の子供たちの卒業式は随分前になりますが、長男の高校生の時は、私はまだ谷山に住んでいたので、高校の評議員をさせていただいておりました。そして、卒業式の前に先生から、式の時に保護者代表で先生方に謝辞を述べていただけないかと言われました。
高校の卒業式で、謝辞がどのように述べられているのか分からなくて伺うと、定型の毎年読まれている謝辞があるので、当日それを読んでいただければと言われて、それをいただいて帰りました。
しかし、それを読んでも何かピンときません。そこで、最初から自分で作ることにしました。子供から聞いた先生方の試験問題を作るご苦労や、先生方のご指導に心から感謝していること、また子供たちが伸び伸びと学校生活を謳歌している様子等を見て良い学校で幸せだと思ったこと等を書きました。
そして、当日はこの高校に入学させられて本当に良かったと心から思っていますと感謝を込めて申しました。
ちょうど、その時私のいとこがその高校の先生として聞いておられて、その時の謝辞が良かったと先生方の間で評判になっていたと聞いて、定型文を読まないで、かねてから心にあったことを言えて良かったと思いました。
また、三男の中学の卒業式の時は、数日前に中学のPTA会長をされておられた方が訪ねて来られて、卒業式で保護者代表として挨拶をしていただけないかと頼まれました。私は中学校でのPTA活動を何もしていなかったので、お断りしようと思ったのですが、困っておられるようだったので、お引き受けすることにして、当日保護者代表で学校と先生方に謝辞を述べさせていただきました。
もう子供たちは大きくなり、孫たちも遠くにいて親族の式に参加することはなくなりましたが、いまだに近くの学校の式には参列させて頂けていることを感謝しています。
卒業は新しい旅立ち、それぞれの場所での新しい生活が始まります。新生活が始まるのに不安もあると思いますが、創造主なる神に信頼するなら、必ず喜びと希望に導かれます。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。ローマ5:3~5
No Response to “卒業式での思い出”