主を恐れることは全ての知識の初め
~人が最初に知らなければならないこと~
真の神様は天地万物を造られたお方です。この世界は緻密に詳細な計画のもとに造られました。そうでないと、人間をはじめ動物も植物も生きていくことができません。そして、この世界にはまだまだ私たち人間が解明できない神秘がたくさん残されています。
真の神様は時間と空間を超えるお方です。したがって、時間と空間に縛られる3次元の有限な私たちには見ることを触ることもできません。
しかし、神様に創造された私たちには、次元の異なる創造主なる神様を求める思いがありますが、神様は霊的な存在で見えないので、見える形の神様を求め始めました。
それで、神が造られた太陽や月や星、山や岩、木や他の動物など、見える物を神様として拝み始め、さらには金や銀や木や石で様々な形に神を造り、それを拝み、願い事をするようになりました。
日本には八百万の神がおられると言われますが、それらはすべて人間が自分たちの安心のために造り出した神様です。残念ながら、それらには人を助け、救う力はありません。
「偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。」イザヤ44:9 彼らは木を切ってきて、「その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった』と言う。その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから』と言う。」イザヤ44:16~17
このような人が造った物や、自然界にある物は当然私たちの祈りや願いを聞くことも、それに応えることもできません。
しかし、天地万物を造り、私たちを生かしておられる唯一の神様は、私たちの祈りや願いを聞いて、解決を与えて下さいます。
私自身も、小さいころから様々な偶像を拝んできました。しかし、30歳になってはじめて天地創造主なる神様のことを知り、人生が変わりました。そして、神様は私たちを愛しておられ、私たちの祈りにこたえようとされていることを体験的に知りました。
それで、この素晴らしい真理を皆さんに知っていただきたいと思い始めました。私がどうしても伝えたいことは、人はみないつか死にます。そして、死んだのちに創造主なる神様の前に立って裁かれる時が来るということです。その時、良いことをした、悪いことをしたということよりも、最も大きな罪は私たちを創造し、生かしておられる神様を信じないで生きてきたことなのです。
まことの神様は最後の最後まで私たちを愛して、ご自分を信じて立ち返ってくることを願っておられます。そして、人の語りや文章によってご自分を受け入れるように働き、また様々な出来事の背後で働いて造り主なる神に立ち返るように導いておられます。
さらに、まことの神は、見えない神を信じない人々に、神のみ子を見える形で送り、人々が信じるように導かれました。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。ヨハネ3:16~19
【主】を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。箴言1:7
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