共におられ、人の思いを超えて働かれる主
~ 今頃になって勉強を始めて~
私のこれまで歩んできた人生についてお話ししたいと思います。すべてが順風満帆で、思い通りの人生を送ってきた人はいないと思います。私も思いもしなかった人生を歩んでいますが、最高の人生だと感謝しています。
私は勉強嫌いの性格でした。3人兄弟の真ん中ですが、母はいつも私の横に座って私が宿題するように見張っていました。宿題と言っても私の小さい頃の田舎では、夏休みと冬休みぐらいで、それ以外の日は毎日思いっきり遊んでいました。
それからも、勉強嫌いのままで成長して、やがて友達にもらった願書で福岡の西南学院大を受けて、そのままその大学に入りました。大学では男子寮に入りましたが、勉強嫌いの私は学校に行かずに寮にいて毎日遊んでいました。
1年を終わったとき、寮生会で寮長から特別表彰されました。それには「あなたは毎日学校にも行かずに、ひたすら寮の番人として男子寮を守ってくれました。ここに感謝し表彰します。」との表彰状でした。
私の大学時代の目標は無事卒業することだけでした。やがて、妻とお付き合いを始めるのですが、彼女は私と正反対で、超真面目で講義は毎回、一番前の席に座って真剣に学んでいました。したがって、彼女の成績はほぼ優でたまに良があるとがっかりしていましたが、私は張り出された成績表を見て「やった~、可だ」と喜んでいました。
無事に卒業して鹿児島に帰って就職して、1年後に彼女と結婚しました。会社での仕事は何とか順調にこなせていました。そして、何年か経ったある日、妻とともに教会の特別集会に出席しました。ミッションスクールを出ていると、ほぼすべての人が卒業まで1度ぐらいはチャペルの集会に出ているのに、私の場合は一度も行っていなかったので、恐る恐る教会に入りました。
しかし、そこで話されたメッセージを聞いているうちに、ここに真理があると真剣に思えて、それからは次々にキリスト教関係の本を買ってきて、夫婦で読みあさりました。私の後ろポケットにはいつも聖書を入れていて、ちょっと時間があると読みました。車で運転している時も横に聖書を置いて、信号待ちの僅かな間にも信号を気にしながら読みました。
そんな私を見て母は「親がお金を出すときは、何も勉強しなかったのに、今になって勉強を始めて」と呆れていました。
そして、聖書や本を読むうちに、生きて働いておられる神がおられると確信し、皆にこれを伝えていくべきだと思い、牧師になりたいと思い始めました。
やがて、妻の働き掛けもあって、会社を辞め牧師になる決心をしました。そして、どこからのサポートもなしに自分で教会を立ち上げることにしました。しかし、その時はすでに子供が2人いて4人家族になっていたので、経済面での心配がありました。
そこで、韓国の断食祈禱院に行って3週間の断食祈禱をして祈りました。そして、神様は飢饉の中でエリヤのもとにカラスが毎朝晩パンと肉を運んできたように、最低限の生活を保障して下さるとの確信を得て帰ってきました。
決して豊かな生活ではありませんでしたが、神様はいつも守って下さり、先回のこのコーナーで書かせていただいたように、公民館を借りたり、小さなアパートを借りたりして礼拝を続け、8年後にこの地の喜入町に教会を建設することが出来て、宣教生活を続けることができています。支配者なる主と、ご協力下さった皆さんに心から感謝致します。
モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」と書いてあります。・・・。同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。」Ⅰコリント9:9,14
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